ファミコン版初代ドラクエ2008年05月18日 22時17分

なぜか無性にやりたくなりました。
我が部屋には近所の古本屋で\3000で買ってきた中国製のROMカセット再生機と、捨てずに保存してあった今やお宝となっている小学生時代に集めたカセットがあるので、懐かしいゲームが思い立ったらいつでもできるのです。
(「ツインビー」とか「燃えプロ」なんかもあります)

新じゃがをレンジで蒸かしたのをつまみに焼酎をロックでちびちびやりながらレベル上げ。
こう言っちゃ申し訳ないけど、ゆとり世代にはまず味わえない悦楽ですな。

りょうってのはもちろん僕の下の名前。
やっぱり勇者は自分の名前がデフォでしょう。

ホントはローラ姫を助けて宿屋に泊まりまくるところまでやりたかったんですが、飽きたので今日はここまで。
クリアするのは面倒くさいので、そこまでやればいいやと思っています。

復活の呪文を書き写すのは面倒なので、画面をデジカメでパチリ。
テクノロジーを無駄遣いできるのも大人の余裕ってやつでしょうか。
(ホントの大人は貴重な休みをこんなふうに無駄遣いしません)

ネット口コミの危うさ2008年05月18日 22時37分

ここのところ台湾やらアメリカやら大阪やら名古屋など、一応世界を股にかけていろいろ出掛けた割には、友人とであったり仕事であったりと、久しく一人旅に出ていないので、次の週末が連休なこともあり、一人でフラリと温泉に出掛けるべく、いろいろネットで調べていました。

その中で、お一人様歓迎のなかなかよさげな温泉宿を見つけたのですが、そこに宿泊した人の評価が載っていたので、一応気になってみてみました。

すると、特にお風呂についての評価がまっぷたつ。
大満足でした、という人と、全然ダメという人と完全に二つに分かれているのです。

負の評価をみると、要は狭くて汚く、設備も良くないということなんですが、よくよく見てみるとどうもこの評価は正当ではないような気がするのです。

まずこの宿は夫婦が切り盛りしている民宿です。
部屋数も宿泊者数も限られています。
となれば、当然風呂だってそんな広いはずがありません。
広い風呂に入りたければ民宿などに来ずに大規模な温泉ホテルにでも行けばいいのであって、小さな宿に来て風呂が狭いとは難癖以外の何物でもありません。

また、結構年季がいっているようなので、お風呂のあちこちに温泉成分が固化しているのはむしろ当然と言えます。
タイルの目地がカビだらけとかいうのならともかく、それをもって「汚い」というのはお見当違いというものです。
むしろそれだけ温泉が濃い証しと言えます。

「シャワーがぬるくて風邪をひきそうだった」とかいう意見もあったのですが、まず温泉なんだから汗をかくぐらい温まりなさいと助言したい。
山奥の小さな民宿なんだから、シャワーがあるだけでも御の字だと思います。
友人と行った箱根の立ち寄り湯にはシャワーなんかありませんでした。
身体は温泉の湯で流せばいいし、頭洗うときぐらいシャワーのお湯が少々ぬるくたって温泉でしっかり温まればどうということはないはずです。

どうやら文句を垂れている人はおしなべて「ハトヤ」みたいな温泉ホテルのような設備を山奥の小さな民宿に期待していた人たちのようです。
それはマクドに入って「ナイフとフォークは?」というようなものであって、お門違いも甚だしいと言えます。

なので、この宿は良いところであろうと判断して、予約を入れました。

評価が正当であるか否かは、評者の軸足を知らなければ量りようがありません。
それにはそれなりの判断能力が必要とされます。
僕は今回諸事情を勘案してどの評価が正当であるかを判断しましたが、判断力に乏しい人はもしかしたら「なんだ、汚い宿なのか」と思うかもしれません。

ネット口コミは、評者の軸足が不明瞭な分、それなりの読解能力が必要とされます。
優れた口コミは軸足がはっきりとしていて何かを選択する際の大きな助けになりますが、そうした例は少ないように思います。

僕は「食べログ」というレストラン口コミサイトをよく利用するのですが、こちらには軸足がはっきりしていてしかも文章が面白いレビュアーさんが複数いて、そうしたレビュアーさんのレビューを愛読しています。
先日伺った天ぷらの店も、こちらの天ぷら評のスペシャリストの方が高評価を上げていたお店でした。
結果、日記にも書いた通り大満足でした。

僕もいろいろなもののレビューをネットに公開している以上、責任を持った発言をせねばと思っています。
評価というのは、突き詰めれば好き嫌いの世界であり、何でもありなんだと誤解されやすいところではありますが、もちろんそうではありません。
最低限正当性のある根拠を元にして評価を下すようにせねば、と思います。