【雑記】マランツ「HD-DAC1」他試聴記 ― 2014年11月09日 01時06分
久しぶりに連絡事項以外の日記です。
本日、越谷レイクタウンのノジマの試聴スペースをミスタさんと訪れ、表題の機種他を試聴してきたので、試聴レポです。
ソースは、チューリップのハイレゾ(192/24)と真綾のハイレゾ(96/24)です。
その他の機種は下記の通りです。
アンプ:アキュフェーズE-470
スピーカー:EXCITE X38
ヘッドフォン:ヤマハ HPH-PRO500
音色は、いかにもマランツの音、といった感じです。
過度にエッジが立たず、でも中高音域はクリアで、低音もキレがある。
ボーカルを聴くにはもってこいだと思います。
ヤマハとの相性も非常に良かったです。
一方で、地味に感じるという声があっても不思議ではありません。
パイオニアのU-05はもっとクリアで、中高音のエッジがしっかり立っており、こちらの方が好きという向きも多いと思います。
アンプを通してスピーカーを鳴らしても、基本的な印象は変わりません。
ただ、NA8005と比較すると、パワー不足というか、本来の用途の違いが出ます。
やはり、スピーカーを鳴らすために設計されているNA8005の方が、余裕を持った音の鳴り方がして、聴いていてストレスがありません。
DAC1はあくまでUSB DAC機能のついたヘッドフォンアンプであり、それ以上でも以下でもありません。
FLACには対応していないし、スピーカーを鳴らすにはネットワークプレイヤーと比べて力不足。
従って、ダイレクトにFLACを再生して、かつスピーカーを鳴らしたい私にとっては、非常に良い製品なんですがニーズと合致しないのです。
お値段的にもサイズ的にも非常に魅力的なのですが、購入に到ることはないでしょう。
それよりはNA8005の方が魅力的なのですが、こちらはお値段が。
やはりパイオニアが妥当な選択肢になるのかな、というのが結局の結論のような気がします。
(前世代のNA7004がかなり安値でオクに出ているので心が動いたんですが、FLACが96までなので却下)
ところで、みのりんのハイレゾを初めて聴いたのですが、感想としては「要らないなあ」。
「too late」を主に聴きまして、確かにごちゃごちゃしたバックの音については、整理されて聴きやすくなっています。
問題なのは肝心のボーカルで、人工的に付加された奥行き感が気持ち悪く、聴いていて酔ってきてしまいます。
一時期あちこちでランティスがドヤ顔で紹介していた「スノハレ」も試聴させてもらったのですが、あのボーカルの積み重ね方はあり得ないと思います。
ランティスのセンスと、私の好みは全く相容れません。
良し悪しではなく、相性の問題です。
第1期チューリップのオリジナルアルバムが全てハイレゾで出ているので、導入は喫緊の課題です。
早く置き場問題を解決しないと。
本日、越谷レイクタウンのノジマの試聴スペースをミスタさんと訪れ、表題の機種他を試聴してきたので、試聴レポです。
ソースは、チューリップのハイレゾ(192/24)と真綾のハイレゾ(96/24)です。
その他の機種は下記の通りです。
アンプ:アキュフェーズE-470
スピーカー:EXCITE X38
ヘッドフォン:ヤマハ HPH-PRO500
音色は、いかにもマランツの音、といった感じです。
過度にエッジが立たず、でも中高音域はクリアで、低音もキレがある。
ボーカルを聴くにはもってこいだと思います。
ヤマハとの相性も非常に良かったです。
一方で、地味に感じるという声があっても不思議ではありません。
パイオニアのU-05はもっとクリアで、中高音のエッジがしっかり立っており、こちらの方が好きという向きも多いと思います。
アンプを通してスピーカーを鳴らしても、基本的な印象は変わりません。
ただ、NA8005と比較すると、パワー不足というか、本来の用途の違いが出ます。
やはり、スピーカーを鳴らすために設計されているNA8005の方が、余裕を持った音の鳴り方がして、聴いていてストレスがありません。
DAC1はあくまでUSB DAC機能のついたヘッドフォンアンプであり、それ以上でも以下でもありません。
FLACには対応していないし、スピーカーを鳴らすにはネットワークプレイヤーと比べて力不足。
従って、ダイレクトにFLACを再生して、かつスピーカーを鳴らしたい私にとっては、非常に良い製品なんですがニーズと合致しないのです。
お値段的にもサイズ的にも非常に魅力的なのですが、購入に到ることはないでしょう。
それよりはNA8005の方が魅力的なのですが、こちらはお値段が。
やはりパイオニアが妥当な選択肢になるのかな、というのが結局の結論のような気がします。
(前世代のNA7004がかなり安値でオクに出ているので心が動いたんですが、FLACが96までなので却下)
ところで、みのりんのハイレゾを初めて聴いたのですが、感想としては「要らないなあ」。
「too late」を主に聴きまして、確かにごちゃごちゃしたバックの音については、整理されて聴きやすくなっています。
問題なのは肝心のボーカルで、人工的に付加された奥行き感が気持ち悪く、聴いていて酔ってきてしまいます。
一時期あちこちでランティスがドヤ顔で紹介していた「スノハレ」も試聴させてもらったのですが、あのボーカルの積み重ね方はあり得ないと思います。
ランティスのセンスと、私の好みは全く相容れません。
良し悪しではなく、相性の問題です。
第1期チューリップのオリジナルアルバムが全てハイレゾで出ているので、導入は喫緊の課題です。
早く置き場問題を解決しないと。
【みのりん】10th Anniversary Live SANCTUARY ― 2014年11月19日 22時56分
素晴らしいライブだったので、久しぶりにライブレポ、というか感想をしたためてみます。
何も考えずに、ただただみのりんの歌を聴いて身体で盛り上がる、というライブでした。
やっぱりライブというのはシンプルなのが一番、という思いを強くしました。
世界観とかなんかそういうごちゃごちゃしたのはいらんです。
ただシンプルに歌を聴きたいです。
それだけの力があるんですから。
色々と凝った演出の画像が使われているのは分かっていましたが、ほとんど見ていませんでした。
ひたすらみのりんのみを凝視。
とにかくみのりんとその歌を楽しもうと思っていたので。
開演1時間以上前に会場について、公演で必須のグッズである旗が買えないとか、本来ならあり得ない不手際ですが、今回ばかりはみのりんに免じて不問に付しても良いかな、と思いました。
印象に残った曲について、一言二言。
◆Dream Wonder Formation
所収のアルバムには思うところが少なからずありますが、この曲は大好きで、アルバム冒頭の2曲だけを聴くことはよくあります。
ライブの幕開きにはぴったりですね。
一気にテンションが上がりました。
◆Cynthia
ほほう、と思うと同時に、久しぶりに参戦していた某氏のことが頭をよぎったのは僕だけではないはず。
ダンス曲、という紹介のされ方にも驚きましたが、どうなんでしょうねw。
◆too late? not late...
テンションが沸点に達したのはいうまでもありません。
もちろんUO追い焚きです。
かつては切羽詰まった疾走感が魅力でしたが、今はむしろ落ち着いたテンポで明るく歌われる曲に変わっており、みのりんの変化を反映しているのかもしれません。
◆君がくれたあの日
序奏でみんな青を振っていたので、いつの間にか初期の振り方に戻ったのかと思ったら、序奏が終わっても大半が青のままだったので拍子抜け。
僕の中では奈々さんのエタブレに匹敵する、会場がオレンジに染まる曲なのですが、今はそうではないんですね。
考えてみれば、君くれ自体がレアな曲になっているので、自然な流れなのかもしれません。
◆Contact 13th
ファン投票1位というのはご新規のファンが増えている現状からすると意外ですが、逆に言えば以前からのファンにとってそれだけ思い入れが強いということなのでしょう。
いい歌です。
◆一等星
曲としては拙いんですが、しみじみいい歌だと思います。
自作曲を武道館で歌うというのは本当に限られたアーティストにしか達成できないことですから、ある意味この日のハイライトだったのかもしれません。
僕は単純にみのりんの歌が好きで、みのりんの歌を聴きたいので、こういうシンプルなライブを重ねていって欲しいなあ、と思います。
何も考えずに、ただただみのりんの歌を聴いて身体で盛り上がる、というライブでした。
やっぱりライブというのはシンプルなのが一番、という思いを強くしました。
世界観とかなんかそういうごちゃごちゃしたのはいらんです。
ただシンプルに歌を聴きたいです。
それだけの力があるんですから。
色々と凝った演出の画像が使われているのは分かっていましたが、ほとんど見ていませんでした。
ひたすらみのりんのみを凝視。
とにかくみのりんとその歌を楽しもうと思っていたので。
開演1時間以上前に会場について、公演で必須のグッズである旗が買えないとか、本来ならあり得ない不手際ですが、今回ばかりはみのりんに免じて不問に付しても良いかな、と思いました。
印象に残った曲について、一言二言。
◆Dream Wonder Formation
所収のアルバムには思うところが少なからずありますが、この曲は大好きで、アルバム冒頭の2曲だけを聴くことはよくあります。
ライブの幕開きにはぴったりですね。
一気にテンションが上がりました。
◆Cynthia
ほほう、と思うと同時に、久しぶりに参戦していた某氏のことが頭をよぎったのは僕だけではないはず。
ダンス曲、という紹介のされ方にも驚きましたが、どうなんでしょうねw。
◆too late? not late...
テンションが沸点に達したのはいうまでもありません。
もちろんUO追い焚きです。
かつては切羽詰まった疾走感が魅力でしたが、今はむしろ落ち着いたテンポで明るく歌われる曲に変わっており、みのりんの変化を反映しているのかもしれません。
◆君がくれたあの日
序奏でみんな青を振っていたので、いつの間にか初期の振り方に戻ったのかと思ったら、序奏が終わっても大半が青のままだったので拍子抜け。
僕の中では奈々さんのエタブレに匹敵する、会場がオレンジに染まる曲なのですが、今はそうではないんですね。
考えてみれば、君くれ自体がレアな曲になっているので、自然な流れなのかもしれません。
◆Contact 13th
ファン投票1位というのはご新規のファンが増えている現状からすると意外ですが、逆に言えば以前からのファンにとってそれだけ思い入れが強いということなのでしょう。
いい歌です。
◆一等星
曲としては拙いんですが、しみじみいい歌だと思います。
自作曲を武道館で歌うというのは本当に限られたアーティストにしか達成できないことですから、ある意味この日のハイライトだったのかもしれません。
僕は単純にみのりんの歌が好きで、みのりんの歌を聴きたいので、こういうシンプルなライブを重ねていって欲しいなあ、と思います。
【雑記】ハイレゾについて思うこと ― 2014年11月20日 23時00分
ハイレゾ音源をいくつか聴いてみて感じたことを率直に書いてみます。
チューリップの作品は、元々アナログディスクという「ハイレゾ」な媒体で発表されていました。
ミックスダウンされた音源がそのままプレスされていたわけであり、圧縮という過程は踏んでいません。
(厳密には違うのかもしれませんが、話を簡略化するために言い切ってしまいます)
CD化されるにあたって、やむを得ずデータ容量の圧縮が行われました。
従って、チューリップの音源のハイレゾ化というのは、音が良くなったわけではなくて、「本来の姿に戻った」だけです。
文句なく音が良く感じられるのは当然の話です。
実際、ハイレゾを聴いてからCDを聴くと、ばっさり切られた音の断面が目で見えるような感じすらします。
翻って、みのりんの作品はどうか。
CDで発表されることが前提なわけですから、CD規格に圧縮されたものがマスターです。
圧縮した上で、音楽として、作品として成り立つように制作されたものです。
従って、データ容量の制限から解放されたハイレゾ音源は、別の作品となることを余儀なくされます。
制限がなくなったのをいいことに、できることを全部やったらどうなるか。
音楽が崩壊するだけです。
全ての音の響きを広げられるだけ広げ、定位が強調されたら、あふれ出す音の情報量に脳の処理が追いつかず、音に酔ってしまいます。
CDではみのりんのキレの中にも深みのあるボーカルが堪能できますが、ハイレゾは高音がピーキーで聞きづらいし、他の音の中に埋もれてしまって、数ある音の内の一つになってしまっています。
真綾のハイレゾはそこを心得ていて、バックの楽器は輪郭をはっきりさせる程度にとどめ、ボーカルを豊かに響かせることに専念しています。
制限のない環境を生かして、いかに良い「歌」にするかがきちんと意識されています。
全てのポテンシャルを生かしきる、というのはビジネスマンの仕事の在り方としては正しいと思いますが、こと音楽制作の場には当てはまらないように思います。
何を聴かせたいのかを見失うと、むしろ逆効果になります。
怖ろしいのは、僕が知る限りでは、ランティスがポテンシャルをフルに生かし切るのが良いハイレゾ音源だと考えているように思えることです。
チューリップの作品は、元々アナログディスクという「ハイレゾ」な媒体で発表されていました。
ミックスダウンされた音源がそのままプレスされていたわけであり、圧縮という過程は踏んでいません。
(厳密には違うのかもしれませんが、話を簡略化するために言い切ってしまいます)
CD化されるにあたって、やむを得ずデータ容量の圧縮が行われました。
従って、チューリップの音源のハイレゾ化というのは、音が良くなったわけではなくて、「本来の姿に戻った」だけです。
文句なく音が良く感じられるのは当然の話です。
実際、ハイレゾを聴いてからCDを聴くと、ばっさり切られた音の断面が目で見えるような感じすらします。
翻って、みのりんの作品はどうか。
CDで発表されることが前提なわけですから、CD規格に圧縮されたものがマスターです。
圧縮した上で、音楽として、作品として成り立つように制作されたものです。
従って、データ容量の制限から解放されたハイレゾ音源は、別の作品となることを余儀なくされます。
制限がなくなったのをいいことに、できることを全部やったらどうなるか。
音楽が崩壊するだけです。
全ての音の響きを広げられるだけ広げ、定位が強調されたら、あふれ出す音の情報量に脳の処理が追いつかず、音に酔ってしまいます。
CDではみのりんのキレの中にも深みのあるボーカルが堪能できますが、ハイレゾは高音がピーキーで聞きづらいし、他の音の中に埋もれてしまって、数ある音の内の一つになってしまっています。
真綾のハイレゾはそこを心得ていて、バックの楽器は輪郭をはっきりさせる程度にとどめ、ボーカルを豊かに響かせることに専念しています。
制限のない環境を生かして、いかに良い「歌」にするかがきちんと意識されています。
全てのポテンシャルを生かしきる、というのはビジネスマンの仕事の在り方としては正しいと思いますが、こと音楽制作の場には当てはまらないように思います。
何を聴かせたいのかを見失うと、むしろ逆効果になります。
怖ろしいのは、僕が知る限りでは、ランティスがポテンシャルをフルに生かし切るのが良いハイレゾ音源だと考えているように思えることです。
最近のコメント