【雑記】ハイレゾについて思うこと2014年11月20日 23時00分

ハイレゾ音源をいくつか聴いてみて感じたことを率直に書いてみます。

チューリップの作品は、元々アナログディスクという「ハイレゾ」な媒体で発表されていました。
ミックスダウンされた音源がそのままプレスされていたわけであり、圧縮という過程は踏んでいません。
(厳密には違うのかもしれませんが、話を簡略化するために言い切ってしまいます)
CD化されるにあたって、やむを得ずデータ容量の圧縮が行われました。
従って、チューリップの音源のハイレゾ化というのは、音が良くなったわけではなくて、「本来の姿に戻った」だけです。
文句なく音が良く感じられるのは当然の話です。
実際、ハイレゾを聴いてからCDを聴くと、ばっさり切られた音の断面が目で見えるような感じすらします。

翻って、みのりんの作品はどうか。
CDで発表されることが前提なわけですから、CD規格に圧縮されたものがマスターです。
圧縮した上で、音楽として、作品として成り立つように制作されたものです。
従って、データ容量の制限から解放されたハイレゾ音源は、別の作品となることを余儀なくされます。

制限がなくなったのをいいことに、できることを全部やったらどうなるか。
音楽が崩壊するだけです。
全ての音の響きを広げられるだけ広げ、定位が強調されたら、あふれ出す音の情報量に脳の処理が追いつかず、音に酔ってしまいます。
CDではみのりんのキレの中にも深みのあるボーカルが堪能できますが、ハイレゾは高音がピーキーで聞きづらいし、他の音の中に埋もれてしまって、数ある音の内の一つになってしまっています。

真綾のハイレゾはそこを心得ていて、バックの楽器は輪郭をはっきりさせる程度にとどめ、ボーカルを豊かに響かせることに専念しています。
制限のない環境を生かして、いかに良い「歌」にするかがきちんと意識されています。

全てのポテンシャルを生かしきる、というのはビジネスマンの仕事の在り方としては正しいと思いますが、こと音楽制作の場には当てはまらないように思います。
何を聴かせたいのかを見失うと、むしろ逆効果になります。

怖ろしいのは、僕が知る限りでは、ランティスがポテンシャルをフルに生かし切るのが良いハイレゾ音源だと考えているように思えることです。

【みのりん】10th Anniversary Live SANCTUARY2014年11月19日 22時56分

素晴らしいライブだったので、久しぶりにライブレポ、というか感想をしたためてみます。

何も考えずに、ただただみのりんの歌を聴いて身体で盛り上がる、というライブでした。
やっぱりライブというのはシンプルなのが一番、という思いを強くしました。
世界観とかなんかそういうごちゃごちゃしたのはいらんです。
ただシンプルに歌を聴きたいです。
それだけの力があるんですから。

色々と凝った演出の画像が使われているのは分かっていましたが、ほとんど見ていませんでした。
ひたすらみのりんのみを凝視。
とにかくみのりんとその歌を楽しもうと思っていたので。

開演1時間以上前に会場について、公演で必須のグッズである旗が買えないとか、本来ならあり得ない不手際ですが、今回ばかりはみのりんに免じて不問に付しても良いかな、と思いました。

印象に残った曲について、一言二言。

◆Dream Wonder Formation
所収のアルバムには思うところが少なからずありますが、この曲は大好きで、アルバム冒頭の2曲だけを聴くことはよくあります。
ライブの幕開きにはぴったりですね。
一気にテンションが上がりました。

◆Cynthia
ほほう、と思うと同時に、久しぶりに参戦していた某氏のことが頭をよぎったのは僕だけではないはず。
ダンス曲、という紹介のされ方にも驚きましたが、どうなんでしょうねw。

◆too late? not late...
テンションが沸点に達したのはいうまでもありません。
もちろんUO追い焚きです。
かつては切羽詰まった疾走感が魅力でしたが、今はむしろ落ち着いたテンポで明るく歌われる曲に変わっており、みのりんの変化を反映しているのかもしれません。

◆君がくれたあの日
序奏でみんな青を振っていたので、いつの間にか初期の振り方に戻ったのかと思ったら、序奏が終わっても大半が青のままだったので拍子抜け。
僕の中では奈々さんのエタブレに匹敵する、会場がオレンジに染まる曲なのですが、今はそうではないんですね。
考えてみれば、君くれ自体がレアな曲になっているので、自然な流れなのかもしれません。

◆Contact 13th
ファン投票1位というのはご新規のファンが増えている現状からすると意外ですが、逆に言えば以前からのファンにとってそれだけ思い入れが強いということなのでしょう。
いい歌です。

◆一等星
曲としては拙いんですが、しみじみいい歌だと思います。
自作曲を武道館で歌うというのは本当に限られたアーティストにしか達成できないことですから、ある意味この日のハイライトだったのかもしれません。

僕は単純にみのりんの歌が好きで、みのりんの歌を聴きたいので、こういうシンプルなライブを重ねていって欲しいなあ、と思います。

【みのりん】MINORI CHIHARA LIVE TOUR 2014“NEO FANTASIA”@グランキューブ大阪2014年05月06日 18時28分

みのりん関係の日記を書くのは本当にご無沙汰ですが……。
最前列をいただいてしまった以上、やはりここはきちんと記録しておかねばなりますまい。
ということで、久しぶりの極私的ライブレポートです。

前方席が引換制になって初めての引換体験、とはいえどうせ大した席じゃないんだろうと高をくくっていたら、最前列、しかも下手寄りにみのりんが来たときにちょうど立ち止まるポジションということで、殊の外良くみのりんを拝むことが出来ました。

みのりんを見た第一印象は「メイク薄いな」。
いやまあ、これは直前に9列目でオスカル様やらアンドレやらを宝塚大劇場で見ていたからなんですが……。

次に思ったのが「みのりんほっそ!」。
タカラジェンヌも極限まで身体を絞った、本当にちゃんと内臓が入っているのか怪しく思える人たちですが、彼女たちに引けを取らない細さなので、これは正直驚きました。
もちろん前からスタイルは良かったですが、ここまで細かったイメージはなく、恐らく絞ったんでしょう。
コルセットを模した衣装もよく似合っていましたが、あまり無理はして欲しくないと思いました。

ライブもアルバムと同様テーマパークをイメージして、みのりんのキャスト風のナレーションからスタート。
ライブの幕開けは4人のダンサーさんも交えて華やかに。
(開始早々にそのうち1人の持つフラッグの布の部分がすっぽ抜けてしまい、相変わらずここの舞台スタッフは抜けてるなあと思いましたが)
セットなどを含め全体的にアルバムのコンセプトが踏襲されていて、音楽の世界観に花を添えていたと思います。

久しぶりにライブで我を忘れて跳んだりはねたり叫んだりしました。(もちろん常に視線はみのりんをロックオン!)
やっぱりみのりんの歌はしっくり来るというか、周りに流されるのではなく身体や心の芯から盛り上がれますし、何より歌に身を任せていると気持ちが良いのです。

そしてまた、歌っているみのりんの美しいこと。
ステージでの姿の美しさではいわゆる声優アーティストの中ではずば抜けていると思います。
あくまで個人的な見解ですが。

久しぶりの「君くれ」では大いに滾りました。
この曲は無条件でぶち切れさせてくれますね。
UOを折る客なんて僕の周りには一人もいませんでしたが、古式ゆかしく(?)前奏の終わりと同時に一本目を折り、途中で追い焚き。
どなたかのようにクルクルとかはしませんが、とにかく全身全霊を込めて飛んで振りました。
Cメロのところでみのりんが目の前に来てくれたときには全身がカッと熱くなって、無意識にUOを振る右手にも力が入りました(だから何だという話ですが)。
締めのドラム連打のところではこれ以上無理というくらい思いっきりUOを叩き付けてしまい、後からよくすっ飛ばさなかったもんだと胸をなで下ろしたくらい興奮してしまいました。

「ラシュマ」では、何を思ったのか大先生がギターを持ち出して、エアギターを熱演。
僕の方を見て「どや!」みたいな顔をするので、「イケてるゼ!」という感じのハンドサインを送っておきました。
ダンサーさんが使っていたみのりんと同じサイズのフラッグを振ったり、大先生がやたらとやりたい放題でした。

「Neverending Story」はどうやって聴かせるんだろうと思っていたのですが、開演前のファンの様子の映像と合わせるというのはすごく良かったと思います。
それにしても、映像を見ながらみのりんのファンは相変わらず良く訓練されているなあと感心しました。

欲を言えば、「Harmonaized Chaos」が聴けなかったのが残念。
大好きだし楽しみにしていたので、唯一の心残りでした。

一つ気になったこととしては、「Perfect energy」の振りが変わったのは何故なんでしょう。
顔の前でVサインを交差させてから身体の前を横切らせる振りが、前後逆になっていて戸惑いました。
今後はそっちの振りに変わるのでしょうか。

音に関しては、メインのスピーカーではなく、前方席用のサブスピーカーの音を聴いていたので、全体的にどうだったのかはよく分かりません。
全般的にギターとバイオリンはほとんど聞こえておらず(音がしないわけではなく、団子になってしまってどういうフレーズを弾いているのかがさっぱり分からない状態)、ボーカルとドラムとベースだけがはっきりと聞こえている状態でした。
ライブを楽しむという点では全く支障はなかったのですが、本編後半、一番音圧が上がった状態では時折ボーカルも行方不明になる局面がありましたし、「NEO FANTASIA」ではメインウーファーからの低音の振動がハンパではなかったので、ホール後方ではどうだったんだろう、という気はしました。
音圧が高すぎるのでは、と思う反面、ファンの歓声に負けないようにするにはやむを得ない側面もあるのかもしれず、これは難しいところだと思います。

ともあれ、歌に、みのりんに鷲掴みにされ振り回されて、気持ちの良いことこの上ないひとときでした。
新福島の蓬莱での打ち上げも相変わらずアレゲな時間でしたし(詳細は割愛しますが)、いろいろなものに感謝したくなったのでした。

【クラシック】インバル&都響 新マーラー・ツィクルス ツィクルスⅧ@みなとみらいホール2014年03月11日 00時09分

マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノⅠ/澤畑恵美   ソプラノⅡ/大隅智佳子
ソプラノⅢ/森麻季    メゾソプラノⅠ/竹本節子
メゾソプラノⅡ/中島郁子 テノール/福井敬
バリトン/河野克典    バス/久保和範
合唱/晋友会合唱団(指揮/清水敬一)
児童合唱/東京少年少女合唱隊(指揮/長谷川久恵)
指揮/エリアフ・インバル 管弦楽/東京都交響楽団

音楽という形而下的なものを超えた圧倒的な体験であり、今までに聴いた最も感動的な音楽である朝比奈隆と都響によるブルックナー8番を凌駕する、至福の時間でした。
神秘的だったと言ってもいいと思います。

規模はバカでかいですが、インバルの指揮は非常に細部に気を遣っており、最強奏時でも音がダマにならず各パートがきっちり分離して聞こえており、時折顔を出す室内楽的な部分では非常に緻密な響きを導き出していました。
また、金管の最強奏も、音の大きさよりも艶や張りを重視しており、力づくではないけれども強く伸びる音を常に出していました。

テンポの動きは非常に大きかったのですが、その変化が非常に自然であり、その音楽にあるべきテンポ設定であるため、「大きくテンポが揺れている」ということを殊更に感じることはありませんでした。
さながら、F1ドライバーがサーキットでマシンを操るがごとく、といったところでしょうか。

第Ⅰ部のラストは強烈なアッチェレラントから大きくリタルダンドをかけ、大合唱とバンダを含む金管の輝かしい響きをたっぷりとホール全体に満たし、完全に心は現実を離れ陶然とさせられ、涙があふれて止まりませんでした。
(「涼宮ハルヒの憂鬱」TVアニメの最終話で神人が世界を破壊するシーンで使われた音楽です)

ここで完全にイッてしまったので、第Ⅱ部はしばらく賢者タイム。
インバルの理知的かつ雄弁な音楽に酔わされているうちに回復し、そしていよいよ全曲のクライマックス。
神々しい合唱に続き、3階席後方の上手・下手に配されたバンダも含めた大編成の金管群の輝かしい響きが前からも後ろからも聞き手を包みます。
圧倒的な響きの洪水の中で空間的感覚を失い、ただただ呆然と奔流に身をゆだねるのみ。
気がつけばまたしても滂沱の涙を流していました。

都響の演奏を聴くたびにその上手さを褒めていますが、本当に上手い。
ホルンと金管セクションの盤石ぶりには舌を巻くばかり。
ホルン首席の上手さは格別です。
また、ラストのクライマックスでインバルはものすごくテンポを落として和音を引っ張るのですが、よく金管セクションが頑張ったと思います。

フロントローに四方恭子(コンマス)、矢部達也を配し、他の弦のパートも特任首席や首席を揃えており、都響の気合いのほども伺える万全の体勢でした。

晋友会はさすがというべきか、膨大な合唱パートを暗譜で歌いきりました。
児童合唱は真っ白な修道士のマントみたいなものを着ており、ちょっと天使っぽい感じでした。
各独唱も含め、完全にインバルの楽器となっており、素晴らしかったです。

あまりにも規模が大きいため、録音にはその全ては収まりません(5.1chであればいい線はいくかもしれませんが)。
こんな素晴らしい経験を日本にいながらにしてできるとは、本当に幸運です。
貴重な耳の宝をまた一つ増やすことができました。

【クラシック】インバル=都響 新マーラーツィクルス第Ⅱ期 交響曲第6番「悲劇的」2013年11月04日 21時20分

指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団

やはりマーラーはブルックナーと同様に、優れた実演を聴かないとその真価は分からないということを改めて痛感させられる名演でした。
僕のような半可通にマーラーの何たるかが分かるわけもありませんが、この演奏を聴くことによってマーラーの音楽の骨格を理解することができたような気がします。

楽理的なことはよく分かりませんが、僕なりの言い方をするならば、マーラーの音楽は断片的で様々なテーマが出ては消え、あるいはしばらくして戻ってきたりして支離滅裂に一見感じられるけれども、実は独特の論理あるいは感性によって実は有機的に結合されているのだと思います。
独特の論理あるいは感性が具体的に何に所以するものかは僕には分かりません。
ユダヤ人演奏家がマーラーを得意とするところからして、もしかしたらユダヤ人に特有の感覚なのかもしれません。

そう考えるとフルトヴェングラーやカラヤンがマーラーを得意としなかったことにも納得がいきます。
どちらも作曲家独自の論理やら感性といったものは斟酌しない、あるいはするつもりがない指揮者ですから、マーラーの音楽をまともに再現できなくても不思議はありません。

その点、インバルの演奏は実に巧みにマーラーの音楽を音楽として分かりやすく聴衆の前に開陳してくれます。
面妖・不可解な様々なフレーズの落ち着かなさはそのままに、一つのまとまりのある作品としてきちんと構成されるので、僕のようなよく分からない人間でも「ああ、マーラーの交響曲を聴いた」という実感を持つことができます。

そして、特筆したいのは都響の上手さ。
マーラーツィクルスの日記を書くたびに強調していますが、やはりここでも強調せざるを得ません。
主な木管楽器は4本ずつ、ホルン8・トランペット6・トロンボーン4に多数の打楽器という変態編成の曲は、オケが上手くなければまずお話になりません。
(これだけの大編成であることも、CDではさっぱり良さが分からない原因の一つでしょう)
技巧的なパッセージのホルンソロが頻出しますが、首席は完璧に吹ききりましたし、金管群も最後はかなり体力的にきつくなりそうな展開でしたが、全く揺るぎませんでした。
目眩く音の饗宴という意味でも、十二分に楽しませてもらいました。

有名なハンマーに関しては、音の効果というよりは、どう考えても実演の際の視覚的効果を狙ったものとしか思えません。
打楽器奏者がでかい木のハンマーを振りおろす様子は、見ていて単純に滾ります。
打楽器奏者3人が同時にシンバルを最強打するシーンも萌えましたね。

とにもかくにも、東京にいながらにして、しかもすこぶる安価で(セット券ならS席の単価が@6000)こんな名演を生で聴くことができる、という幸せに感謝せざるを得ません。
残り3曲も大変楽しみです。