環境問題について思うこと2010年06月22日 22時22分

3年前から会社のプロジェクトチームの一員として本格的に環境問題に取り組むようになり、この3月からは専任部署に配属され、流れ流れてCSRで飯を食うようになりました。
必然的に環境問題にコミットせざるを得ないわけですが、一つ痛切に思うことがあります。

環境問題を考える際には、複眼的視点を忘れてはならない。

例えば割り箸をなくす運動。
これに反対する人はあまりいないような気がしますが、僕は疑問を抱いています。
まず、割り箸は基本的に間伐材や端材で作るので、割り箸を作るために木を切り倒すということはないし、端材は相変わらず出るので、割り箸を使うのを止めたところでゴミが減るわけでもない。
一方で、森林資源は回復可能ですが、樹脂の箸の原料となる石油は回復不能です。
また、特に店舗で使用する樹脂の箸を洗浄し、消毒するには多量の水と洗剤と燃料を使います。
水を汚し、二酸化炭素を排出するわけです。
これは果たしてエコなのか、大いに疑問が残ります。

エコキャップ運動なんかもそう。
リサイクルのために消費するエネルギーと、廃棄して新しいものを作るために消費するエネルギーとどちらが多いのか。

笑えない笑い話として、エコバッグにペットボトルが一杯、なんてのもありますね。
こと環境に関することになると、何かアクションを起こすと、本質に関係なく何か良いことをやった気になってしまう。
本人は良いことをやっているつもりなので、何か反駁をされると非常にけんか腰になる。
冷静さを欠きがちになります。

本当にあらゆる側面から見ても環境に良いことなんて、皆無といっても良いのではないでしょうか。
例えば今盛んに太陽電池が持ち上げられていますが、あれは希少金属をかなり使うし、製造過程での二酸化炭素排出量もかなりなものです。
ただ、それなりの期間運用すれば発電所で発電するよりもトータルではぐっと排出量を抑えられるので、結果としてエコになる。
上から下から、右から左からちゃんと確認した上で、効果が認められて初めて環境に優しい、といえるわけです。
しかし、今は上から見て環境に優しければ、そのほかの面がどうなっていようが「環境に優しい」ということになってしまう風潮があります。

無邪気な市民がそうして喜んでいる分にはまだ良いのですが、企業・マスコミ・そして政府が一方向しか見えないように仕向けるようになったら、これは怖ろしいことです。
そして、僕にはその傾向はすでに始まっているように思えてなりません。

【時事問題】沖縄を巡る問題について2010年05月23日 23時12分

まず我々が確認しておかなければならないことは、沖縄に基地を置く必要性である。
その地にあることが必要不可欠であるのならば、住民の感情などとは関係なく、国家は厳然と対応しなければならない。

必要性を判断するには、我が国が他国から攻撃を受けるリスク及び各リスクにおける沖縄の地政学的メリットを評価する必要がある。
まず被攻撃リスクだが、当然のことながら多角的な側面から算定するからが求められる。
両国間の経済関係・当該国の軍事力・当該国民の我が国に対する国民感情など、様々な要素が考えられる。

リスク評価をした上で、仮に被攻撃リスクが高い国家があったとして、その国の攻撃から身を守る上で沖縄に基地があることが果たして求められるのかを検証するのが次の段階だ。
対象となる国がどこであるかによって、評価は異なってくるだろう。

もう一つ確認しなければならないのは、アメリカ軍駐留の必要性である。

前述した攻撃を受けるリスクについて、具体的な評価は差し控えるが、常識的に言って我が国が一切の軍事力を保持する必要がないほどにリスクが低いとはとうてい思えない。
となれば、なにがしかの防衛力は不可欠である。

現状は、戦後以降の日米安全保障体制の下、米軍が我が国の防衛を担っている。
果たしてそれが適切なのか、それを評価する必要がある。

感情論から言えば、国家の防衛は当然自国で行うのが当然であり、防衛軍を保持すべきである。
稚拙を承知で言えば、我が身一つ自分の意のままに守れないのでは、主権国家として不満足な状態と言わざるを得ない。

しかし、米軍駐留にその恥ずべき状態を補うメリットがあるのならば、話は別である。
その大きなものには、設備投資のコスト削減というものがあろうし、米国の覇権主義を満足させてやることへの見返りもあろうし、隣接する国家の感情を無駄に逆なでせずに済むというものもあろう。
また、特に東南アジア諸国にとっても、日本に米軍が駐留していることはメリットであろうから、それも勘案すべきである。

少し論はそれるが、上記のメリットのうち、日本以外の国が享受するものについては、相応の対価を要求して然るべきである。
米軍に対し「思いやり予算」なる恥ずべき金銭の支払いを余儀なくされていることなど論外であるし、東南アジア諸国に対しても経費負担の要求まではできないまでも、そのことを理由に利益供与を引き出すなどすべきである。

さて、そのようにして評価を行った結果、沖縄に現状通り米軍駐留は不可欠である、という結論が出たあかつきには、政府は全力をもってそのことを沖縄県民に説かねばならないし、県民にも腹を括ってもらわなければならない。
もし、現状があるべき状態と食い違っているのならば、あるべき状態にすべく行動を開始する必要がある。

僕だって、家の近くに軍隊の基地などあってほしくはない。
しかし、納得せざるを得ない必要性があり、かつそのことによって生じる不便を受忍限度にまで引き下げる努力が十分になされているのであれば、国民として受け入れざるを得ない。
いずれもが不十分であるから、沖縄の基地問題はいつまで経っても解決しないのだ。

民主党政権がなすべきは、まずは米軍ありきの自民党の考え方を覆し、一から全てを丁寧に評価し直すことであり、選挙前に自民党と違う方向に話を持って行く、ということでは断じてない。
(結果的に自民党がなしてきたことにちょっとだけ手を加えてお茶を濁すことで落ち着きそうだが)
鳩山内閣がこの問題についてまずやるべきことは、適当なことを言って混乱を生じさせた謝罪であり、しかる後時間をかけて検討を行えばよいのだ。
(もちろん、我々にもある程度の辛抱が必要だ)

方針を決める、国民に説明をする、実行する。
政治家がなすべきことはこの3つであり、いずれもできていない有様では、政権を支持する・しない以前の問題である。

【時事問題】いい加減に腹を括るべきである2009年12月10日 23時58分

我慢できないので書き記しておく。

一つあらかじめ断っておくが、僕はアメリカが大嫌いである。
9.11の折には心の底から「ケケケ、ざまあ」と思っていた。
しかし、大変遺憾なことであるが、現在我が国の安全保障はほぼ100%アメリカの武力に依存している。
そうである時点で、我が国はアメリカとの関係において大きな枷を一つ背負っていることになる。

何しろ向こうはいざとなれば命をかけて働くことになるのである。
その相手に中途半端な態度で臨めばそれは大いに失礼なことであるし、そもそも自分の命にも跳ね返ってくることである。

米軍基地を腐った生ゴミが入ったバケツのように思っている人がどうも多いようだが、米軍なくしてどうやって身を守ろうというのか。
日本にとっての脅威は国土の北西方面からやってくるのである。
それに対する備えを太平洋上の島に作ってどうするというのだろうか。

現状の米軍の軍備が日本を防衛するには過剰であり、適正な規模にまで削減する必要があるというのならば、それは正しい言い分である。
しかしそれを主張するには、綿密に練られた案が必要となろう。

間違っても、うるさいからどこかにやる、という低い次元で語られていい問題ではない。

普天間移設に関する合意は旧政権のものであり、異なる案を掲げて政権を得た我々はそれを受け入れるわけにはいかないと主張するなら、それはそれで民主主義国家の政府として一つのあるべき姿であると思う。
しかし、それをするならば、米政府との関係悪化をおそれず、真っ向から米政府と対峙しなければならない。
相手の要求は丸飲みできないが、面と向かって突っぱねることも怖くてできず、結局そっぽを向いてごにょごにょ言うことを聞きたくない風なことを呟き続けるようなマネは、まともな国の外交姿勢ではない。
少しは中国人のふてぶてしさを見習うといい。

いっそのこと沖縄のどこかの沖合に人工島を建設して、そこに沖縄県内の米軍基地を集約したらどうか。
こども手当・高速道路無料化・高校授業料の無償化、この3つだけでざっくり3兆円である。
この金を使えば島一つ作るくらいはできるのではないか。
足りなければ建設国債でも発行すればいい。
静香ちゃんが大好きな、「地方の公共事業」でもある。
これくらいぶち上げれば、アメリカも少しは感じ入るのではないか。

3代目を通り越して4代目の「由紀夫ぼっちゃま」には荷が勝ちすぎるのだろう。
頼みの一郎君は、中国にはパイプがあるがアメリカにはさっぱりだから手を貸してくれそうもない。
現段階でぼっちゃまに残された選択肢のいずれを選んでも、アメリカか、沖縄県民と福島瑞穂のいずれかを激怒させることは必定である。
では、どちらを怒らせる方が国益にかなうか。
正常な判断力が残っておれば、判断はつくはずである。

最後に一つ。
こんなことで頭を悩まさずに済むよう、つまり米軍の軛から一刻も早く解放されるよう、僕は再軍備が急務であると考えている。

鳩山内閣発足に寄せて2009年09月16日 22時52分

少々不穏当な発言もあるかと思いますが、言いたいことを言わせてもらいます。

☆官僚も民主党も死ぬ気で戦え

霞ヶ関は鳩山政権のやり方に合わせる必要など一切ない。
各省庁はこれまで築いてきた省益を守るため、全身全霊を以て戦うべきである。
レクチャー拒否でも答弁用資料の提出拒否でも、ありとあらゆる姑息な手を使ってでも戦うべきである。
いびっていびっていびり倒して、民主党議員の一人や二人、議員宿舎に吊すぐらいの心構えでやってもらいたい。

民主党もまた当然同じ心意気で戦うべきである。
次官・局長と議員の板挟みになった中央省庁の課長の一人や二人、通勤電車にダイブさせるぐらいの勢いでやってもらいたい。

予算の執行?止まればいいじゃない。
10年度予算の編成?年度越えすればいいじゃない。
日本という国のあり方自体がしっちゃかめっちゃかになって、世界中から見放されて、円・株・債権のトリプル安に見舞われればいいじゃない。
特に債券安(=国債金利の上昇)は国の懐を直撃する問題であり、効率的である。

そうしてにっちもさっちもいかなくなって初めて、国民も、官僚も、政治家も、真にこの国をどうしていかなければならないかを考えるようになるだろう。
それでいいのだ。
バカは死ななきゃ治らない。
死んじゃ元も子もないが、瀕死ぐらいまでいかないことにはこの国は変われないのである。

僕は衆院選では民主党に入れたが、彼らがこの国を良くするとは微塵も思っておらず、むしろどんどんおかしくしてくれる方に期待をしているのである。
そのためには、霞ヶ関に変に従順になられては困るのだ。
血で血を洗う戦争が始まることを期待している。

☆自民党が忘れた「自民精神」が復活している

前々から言っているが、民主党は「自民党小沢派」である。
小沢一郎は田中角栄の正当なる後継者である。
それは、例えば彼の資金管理団体が「陸山会」という名前であることからも伺える。
(田中角栄の後援会は、言わずと知れた「越山会」である)

だから、暴論を承知で言えば、政権交代などしていないのである。

今回の閣僚人事も実に巧みで、連立相手である更年期ばばあとしずかちゃんを見事に省庁を配下に置かぬ、体の良い閑職に追いやっている。
最初は両党もちょっとは強硬なことを言っていたようだが、小沢に睨まれた途端に借りてきた猫になり、文句の一つも言えやしない。
まさに「数は力」である。

民間人の登用はゼロ。
党内の実力者をバランス良く配した陣容であり、まさに往時の自民党内閣を見るようである。

☆「政治家主導」に騙されるな

政治家なんぞを霞ヶ関にのさばらせたら、猟官運動にうつつを抜かすに決まっている。
少なくとも官僚はそんな無駄なことにエネルギーは使わない。
そもそも、官僚は匿名・無個性の一単位であるのに対し、政治家は一個人であり、また一地域の代表でもある。
地元の利益誘導のために権限が濫用される危険性が常に付きまとうのである。

行政は無個性のプロフェッショナルが行うべきであり、官僚主導が誤りなのではなく官僚のあり方が誤っているだけである。
それは小手先の変化でどうなるものでもなく、教育制度など国家の根幹から変えねば変革されぬ問題である。

つまりは己の権限強化を言っているだけであり、これも小沢の手練手管の一つと考えるべきだろう。
騙されてはならない。

僕の言葉などは単なる戯れ言に過ぎないが、ただ一つ揺るぎない事実がある。

経世会(旧竹下派)の流れを汲む政治家は、みな民主党にいる。

この事実は忘れてはならない。

投票してきました2009年08月25日 23時41分

日曜日は仕事&ゆいにゃんのサイン会なので、比較的早く仕事をはねられる今日期日前投票に行ってきました。

当然ながら、小選挙区・比例共に野党に入れてきました。
僕は自民党以上に民主党を支持していません(僕は基本的に保守ですから自民党支持なんです)が、今回はまず自民党を壊す、どうせ民主党もすぐに馬脚を表すのですからこれもまたすぐに壊れる、2つの政党が壊れた後に過去とは異なる地平が拓ける、という未来を僕は希望しています。

主義主張は皆さんいろいろあるでしょうが、とにかく必ず投票に行ってください。
一票を投じないということは白紙委任状を提出するのと同義であり、消費税が20%になろうが、徴兵制が導入されようが、何一つ異を唱える権利を持てないということです。
一票では何も変わりませんが、一票からしか何も変えることはできないのです。

よろしくお願い致します。