【雑記】坂本真綾論2010年06月09日 23時20分

一つ前置きしておくと、僕は現在進行形で真綾のファンですので、そこはご了解のほどを。

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『少年アリス』後の真綾にはあまり興味がない。
『夕凪LOOP』は全く感心しないし、『かぜよみ』もたまに聴くと悪くないが、愛聴するほどの関心はない。

真綾が優れたシンガーであることは疑いがない。
『夕凪』のころは菅野さんから巣立った後の「迷走」が目立つが、『かぜよみ』は真綾らしさが出ていると思う。
だがしかし、聴いていてあまり惹かれない。

『少年アリス』まではあった「少女の毒」がそれ以降抜けてしまったからだと思う。
毒、という言い方が強すぎるようであれば、「棘」と言い換えても良い。
いずれにせよ、『アリス』までの真綾の歌には、ただ耳に心地良いだけではない、聴く者の心に引っ掛かる何かが確かにあるのだ。

具体的に何が、どういう風に引っ掛かるのか、と問われると返答に窮する。
感じてください、としか言い様がない。
ただ、例えば「ユッカ」「私は丘の上から花瓶を投げる」「光あれ」あたりは、僕なりの言い方で言うところの「毒」が強い曲だと思う。

当然だが、人はいつまでも少女ではない。
菅野さんとの別れは、少女時代との訣別の象徴だったのかもしれない。
そして真綾の歌から毒が抜けた。

適切なたとえでないかもしれないが、無垢な乙女である巫女が、男を知って普通の女になった途端に神通力を失うような、そんな感覚である。

真綾が優れたシンガーであることは、今でも変わらない。
ただ、毒のない真綾は、僕にとってはただの優れたシンガーでしかないのである。

いや、正確には『かぜよみ』に毒はある。
ただ、それは「大人の女の毒」なのである。
そして、それは僕が苦手としているものでもある。

みのりんに否応なしに惹かれる理由の一つは、大人の女の毒が全くないことが挙げられる。
みのりんの魅力は毒ではなくもっと別のものなのだが、それが何なのかは、上手く説明できそうもない。

今の真綾が魅力的に感じられないからといって、それ以前の作品の価値が減じるわけでは決してない。
いつまでも愛聴し続けるだろう。
僕にとって坂本真綾は「過去の人」なのだが、過去に放たれた光は、あまりにも眩しいのである。