【雑記】人間の身体ってのは複雑なのか単純なのか ― 2011年11月10日 23時14分
父親が心臓手術を受けました。
ずいぶん前から心房細動(不整脈の一種)を患っていることは知っていたのですが、執刀医の話を聞くと、疾患の大本は僧帽弁(左心房と左心室を隔てる弁)の不全で、そこから全てが派生しているとのこと。
よって、手術では、僧帽弁の再形成もしくは機械弁による置換、及び三尖弁(右心房と右心室を隔てる弁)の再形成、そして可能であればメイズ手術(心房細動を除去するための手術)とのことでした。
僧帽弁と心臓本体をつなぐ腱のようなものが切れ、弁がきちんと閉まらなくなることにより、左心室から左心房に血液の逆流が起こる。
そうすると今度は左心房から肺、肺から右心室、右心室から右心房、右心房から肝臓、という形で逆流が起こり、いろいろと不具合を引き起こされるわけです。
逆流が起こるために左心房が肥大し、左心房の壁の部分に存在する電気刺激の伝達系が壊れ、心房細動を引き起こす。
肺が鬱血する(通常の倍以上の血圧で、仮に一気にその状態になったら、溺れたような猛烈な息苦しさを感じるはずだそうです)。
肺が鬱血して上手く血液が流れ込まないので、同様に右心房も肥大する。
肝臓が鬱血し、血小板が過度に濾過され、減少する。
医師の説明を聞いて、因果関係はよく分かったのですが、何だか家庭の排水管みたいだな、と思ってしまいました。
逆流しちゃうなんて。
大本の弁の不具合を直して血液の流れを良くするとかなり状態は緩解するとのことで、クラシアンかいな、と思ったり。
実際の術式がどうなるかは開けてみないと分からないとのことで、終了したあと執刀医に話を聞くと、右心房が通常の人の4倍ほどに肥大していたとのこと。
左心房が2倍くらいに肥大しているという話は聞いていたのですが、開けてみて執刀医も驚いたようです。
ここまでになるのは10年やそこらではきかないので、もっとずっと前から具合は悪かったと思いますよ、という話でした。
このような状態では心房細動を外科的に処置することは不可能なので、メイズ手術は行わず。
僧帽弁は、弁形成にトライはしてみたものの弁の変形の度合いが大きく、機械弁への置換へ。
三尖弁の形成も行い、逆流がなくなったことで右心房の大きさが通常の倍くらいまでは縮んだそうです。
心臓を止めていたのは140分ほどだったとのこと。
それだけの時間心臓を止めて、あまつさえかっさばいたりして、それで再びちゃんと動き出すのだから、不思議なものです。
いずれにせよ、癌を切除するとか言うのと違って、元気になるための手術なので、病院で待っている間もそんなに気を揉んだりすることもなく、普通に本を読んだり、眠くなったらうたた寝したりしていました。
それでも、ICUでちゃんと生きている姿を見たときは、さすがにホッとしました。
機械弁に置き換えるので切除した僧帽弁を見せてもらったのですが、何だかずいぶんと頼りない代物でした。
こんなもんで人間生きてるんだなあ、と思った次第です。
ずいぶん前から心房細動(不整脈の一種)を患っていることは知っていたのですが、執刀医の話を聞くと、疾患の大本は僧帽弁(左心房と左心室を隔てる弁)の不全で、そこから全てが派生しているとのこと。
よって、手術では、僧帽弁の再形成もしくは機械弁による置換、及び三尖弁(右心房と右心室を隔てる弁)の再形成、そして可能であればメイズ手術(心房細動を除去するための手術)とのことでした。
僧帽弁と心臓本体をつなぐ腱のようなものが切れ、弁がきちんと閉まらなくなることにより、左心室から左心房に血液の逆流が起こる。
そうすると今度は左心房から肺、肺から右心室、右心室から右心房、右心房から肝臓、という形で逆流が起こり、いろいろと不具合を引き起こされるわけです。
逆流が起こるために左心房が肥大し、左心房の壁の部分に存在する電気刺激の伝達系が壊れ、心房細動を引き起こす。
肺が鬱血する(通常の倍以上の血圧で、仮に一気にその状態になったら、溺れたような猛烈な息苦しさを感じるはずだそうです)。
肺が鬱血して上手く血液が流れ込まないので、同様に右心房も肥大する。
肝臓が鬱血し、血小板が過度に濾過され、減少する。
医師の説明を聞いて、因果関係はよく分かったのですが、何だか家庭の排水管みたいだな、と思ってしまいました。
逆流しちゃうなんて。
大本の弁の不具合を直して血液の流れを良くするとかなり状態は緩解するとのことで、クラシアンかいな、と思ったり。
実際の術式がどうなるかは開けてみないと分からないとのことで、終了したあと執刀医に話を聞くと、右心房が通常の人の4倍ほどに肥大していたとのこと。
左心房が2倍くらいに肥大しているという話は聞いていたのですが、開けてみて執刀医も驚いたようです。
ここまでになるのは10年やそこらではきかないので、もっとずっと前から具合は悪かったと思いますよ、という話でした。
このような状態では心房細動を外科的に処置することは不可能なので、メイズ手術は行わず。
僧帽弁は、弁形成にトライはしてみたものの弁の変形の度合いが大きく、機械弁への置換へ。
三尖弁の形成も行い、逆流がなくなったことで右心房の大きさが通常の倍くらいまでは縮んだそうです。
心臓を止めていたのは140分ほどだったとのこと。
それだけの時間心臓を止めて、あまつさえかっさばいたりして、それで再びちゃんと動き出すのだから、不思議なものです。
いずれにせよ、癌を切除するとか言うのと違って、元気になるための手術なので、病院で待っている間もそんなに気を揉んだりすることもなく、普通に本を読んだり、眠くなったらうたた寝したりしていました。
それでも、ICUでちゃんと生きている姿を見たときは、さすがにホッとしました。
機械弁に置き換えるので切除した僧帽弁を見せてもらったのですが、何だかずいぶんと頼りない代物でした。
こんなもんで人間生きてるんだなあ、と思った次第です。
婚活の波がついに我が身にも・・・ ― 2009年04月12日 23時04分
束の間の親孝行のために実家に帰っていました。
土曜日の昼飯後、親父が病院に出掛けてお袋と二人で話をしていたんですが、今から思えば多少の前フリと思われる話題の後、おもむろに
「友達のお嬢さんがね」
( ゚Д゚)ktkr
いやまあ、一人息子が31にもなって彼女も作らずふらふらしてりゃ、そりゃ気を揉みますわね。
「よかったら誰かお友達誘って2対2で」
敵は2体ですか(失礼)。
こういうことの話せる同性の親友は3人いるものの、1人は既婚、残る2人も結婚を迫られている彼女がいる身なので、こういった際には残念ながら役に立ちません。
「いいのよ、別に2対1でも」
いやいやいや、何をおっしゃるの、ママ上。
いやまあ、現実問題女性を相手にするのは得意なので、やれと言われればやりますが、頑張って女性を楽しませなければいけないシチュエーションは、浮世の義理でキャバクラに行かなければならない年に一、二回の機会で勘弁していただきたい。
「親が間に入るのもあれだから、直接メールで」
(・A・)
ただでさえメールって好きじゃないのに、見ず知らずの女性にお見合い申込みのメールなんてどうやって打てばいいのさ。
悩み抜いた揚げ句、ヤケクソになって
「4月19日なら平野綾のFCイベントの後が空いてます」
とか書いちゃいかねないよ。
まあ、その場はうまく話をはぐらかして誤魔化したんですが、「お気に入りの写真があれば預かるわよ」とか言ってるし。
「写真なんかでオレの何が分かる。どうせならプロフィールを事細かに書いたのを送ってやる」と半分啖呵を切ったのですが、本当にそれを寄越せと言われたらどうしよう。
いっそのこと、ご満悦の笑顔を浮かべて「みのり」の車内でフラッグを持っている写真でも送り付けてやればいいのかしら。
それを見て「この人面白そう」とか言って関心を持つようであれば、第一段階はクリアだな。
(あんまり変人なのも困るんですが・・・←贅沢抜かすな!)
仮にそういう席に引き出されたりしたとしたら、とりあえずParadeツアーのことを語り出すでしょうね。
もちろん、知らない人にも分かるようおもしろおかしく脚色はしますが、自分にとってライブは生きる糧であることは理解してもらわないと。
ライブ=仕事>デート
は僕の中では大宇宙の法則ですから。
(ライブ>仕事、ではないのは、僕のサラリーマンとしての矜恃です)
オタクである僕を受容してくれる人以外に用はありません。
それ以前の問題として、結婚相手を求めて人との縁を探すっていう行為そのものに、言い様のない違和感を感じるんですよね。
少なくともオレはそういう真似はしないぞ、と少なくとも今は思います。
結婚がしたいわけでも、したくないわけでもないので。
31歳、独身、彼女なし。
物思いのタネがそれなりにできるお年頃です。
土曜日の昼飯後、親父が病院に出掛けてお袋と二人で話をしていたんですが、今から思えば多少の前フリと思われる話題の後、おもむろに
「友達のお嬢さんがね」
( ゚Д゚)ktkr
いやまあ、一人息子が31にもなって彼女も作らずふらふらしてりゃ、そりゃ気を揉みますわね。
「よかったら誰かお友達誘って2対2で」
敵は2体ですか(失礼)。
こういうことの話せる同性の親友は3人いるものの、1人は既婚、残る2人も結婚を迫られている彼女がいる身なので、こういった際には残念ながら役に立ちません。
「いいのよ、別に2対1でも」
いやいやいや、何をおっしゃるの、ママ上。
いやまあ、現実問題女性を相手にするのは得意なので、やれと言われればやりますが、頑張って女性を楽しませなければいけないシチュエーションは、浮世の義理でキャバクラに行かなければならない年に一、二回の機会で勘弁していただきたい。
「親が間に入るのもあれだから、直接メールで」
(・A・)
ただでさえメールって好きじゃないのに、見ず知らずの女性にお見合い申込みのメールなんてどうやって打てばいいのさ。
悩み抜いた揚げ句、ヤケクソになって
「4月19日なら平野綾のFCイベントの後が空いてます」
とか書いちゃいかねないよ。
まあ、その場はうまく話をはぐらかして誤魔化したんですが、「お気に入りの写真があれば預かるわよ」とか言ってるし。
「写真なんかでオレの何が分かる。どうせならプロフィールを事細かに書いたのを送ってやる」と半分啖呵を切ったのですが、本当にそれを寄越せと言われたらどうしよう。
いっそのこと、ご満悦の笑顔を浮かべて「みのり」の車内でフラッグを持っている写真でも送り付けてやればいいのかしら。
それを見て「この人面白そう」とか言って関心を持つようであれば、第一段階はクリアだな。
(あんまり変人なのも困るんですが・・・←贅沢抜かすな!)
仮にそういう席に引き出されたりしたとしたら、とりあえずParadeツアーのことを語り出すでしょうね。
もちろん、知らない人にも分かるようおもしろおかしく脚色はしますが、自分にとってライブは生きる糧であることは理解してもらわないと。
ライブ=仕事>デート
は僕の中では大宇宙の法則ですから。
(ライブ>仕事、ではないのは、僕のサラリーマンとしての矜恃です)
オタクである僕を受容してくれる人以外に用はありません。
それ以前の問題として、結婚相手を求めて人との縁を探すっていう行為そのものに、言い様のない違和感を感じるんですよね。
少なくともオレはそういう真似はしないぞ、と少なくとも今は思います。
結婚がしたいわけでも、したくないわけでもないので。
31歳、独身、彼女なし。
物思いのタネがそれなりにできるお年頃です。
父親孝行 ― 2008年06月29日 10時17分
昨晩は実家に帰って、父親の61回目の誕生日やら父の日やら定年お疲れ様を兼ねて御接待。
今の父は母親の再婚相手であり、ガキンチョの頃はそれなりに思うところがあったりもしたもんですが、今この歳になればただ感謝の念があるばかりです。
何たって他人の子ども、しかも有り体に言えば奥さんがほかの男と作った子どもを育てるってのは、なかなか出来るこっちゃないと思います。
少なくとも僕にはちゃんとできるとは思えません。
若い頃は公務員の労働争議で霞が関で名を上げたこともあるようですが(その時の縁で結構な大物と知見があったりするようです)、今ではすっかり趣味のアンプ作りに精を出しています。
心臓に持病があったりしますが、薄毛とメタボとは無縁。
なかなか理想的な歳の取り方をしていると思います。
面と向かっては言えませんが、尊敬できる父親です。
末永く元気でいてもらいたいものです。
先日伺った西麻布の「てんぷら魚新」さんに招待したのですが、この日の白眉は野菜。
旬のアナゴも美味かったのですが、アスパラやカボチャ、レンコンが大変な美味。
素材ももちろん良いのですが、天ぷらっていう調理法が野菜を一番美味しくするんだと発見。
もっとも、うまく揚げればということになるのですが。
今の父は母親の再婚相手であり、ガキンチョの頃はそれなりに思うところがあったりもしたもんですが、今この歳になればただ感謝の念があるばかりです。
何たって他人の子ども、しかも有り体に言えば奥さんがほかの男と作った子どもを育てるってのは、なかなか出来るこっちゃないと思います。
少なくとも僕にはちゃんとできるとは思えません。
若い頃は公務員の労働争議で霞が関で名を上げたこともあるようですが(その時の縁で結構な大物と知見があったりするようです)、今ではすっかり趣味のアンプ作りに精を出しています。
心臓に持病があったりしますが、薄毛とメタボとは無縁。
なかなか理想的な歳の取り方をしていると思います。
面と向かっては言えませんが、尊敬できる父親です。
末永く元気でいてもらいたいものです。
先日伺った西麻布の「てんぷら魚新」さんに招待したのですが、この日の白眉は野菜。
旬のアナゴも美味かったのですが、アスパラやカボチャ、レンコンが大変な美味。
素材ももちろん良いのですが、天ぷらっていう調理法が野菜を一番美味しくするんだと発見。
もっとも、うまく揚げればということになるのですが。
ワタシのパパはアキバ系 ― 2008年06月12日 23時25分
例の秋葉原の事件を知ったとき、まず最初に思ったのは「親父は大丈夫か?」ということでした。
何しろ足繁くアキバに通っている人なもので。
(ちなみに地下鉄サリン事件の時も同じことを思いました。まさに霞ヶ関駅を利用している官僚だったもので)
幸いそれは杞憂だったわけですが・・・。
僕自身はオタクとはいうものの腐男子なものであまりアキバには立ち寄ることがないのですが、僕の親父は完全にアキバ系です。
とはいうものの、別にメイド喫茶に入り浸っているわけではありません。
「元祖」アキバ系というべきでしょうか、往年のオーディオ小僧なんです。
小学生の頃、今から半世紀以上前にお兄さんに連れられて鉱石ラジオの組み立てキットを買ったというのですから筋金入りです。
手前味噌ながら、今の親父はかなり腕利きの真空管アンプの作り手です。
往年のマランツやマッキントッシュの名器のレプリカも回路図と大昔の雑誌の記事を頼りに製作しちゃいましたし、前の持ち主が作りきれなかったラックスマンの真空管アンプ製作キットを格安で仕入れてきて、短時間で組んでしまったりしています。
最近はネットで回路図を仕入れることを覚え、いろいろな人がチャレンジして苦労している真空管ヘッドフォンアンプを、「一つコツがあるんだよ」と言いながら難なく使えるものに仕上げたりしています。
(ちなみにこれは今僕が愛用しています)
箱も自作するのがすごいところ。
アルミ板を買ってきて、旋盤で加工しています。
そんな人ですから、秋葉原にしょっちゅう真空管やトランスを仕入れに通っています。
金をかけずにいいものを作る、がモットーなので、そんなに高価な物は買ってきませんが、時折ヴィンテージものの国産真空管などを仕入れてきます。
「奮発しちゃったよ」とか言いながら自慢するのが\100の抵抗だったりするところがおかしいところです。
ガード下の、パーツ屋街が親父の「聖地」です。
僕が歩いても何が楽しいのかさっぱり分かりませんが、分かる人には分かるのでしょう。
そんなパーツ屋のおっちゃんの話を親父から聞いたことがあります。
最近はいい歳したおっさんだけでなく、若者の間にもちょっとした自作ブームみたいなものがあり、若い客も来るらしいのですが、彼らはスペック通り、マニュアル通りにしか物が作れないそうなのです。
例えば、マニュアルにあるのとはちょっと仕様が違う、しかしちょっとだけ手を入れれば十分に使える、あるいは無視できるレベルの差違のものが店頭にある場合、彼らは決してそれを手に取ろうとはしないらしいのです。
仮にそれが格安の良品であろうとも、あえて大枚はたいてスペック通りのものを買っていくそうです。
「そういうのを自分で調整するのが自作の醍醐味だと思うんだけどねえ」というのが店主の弁とか。
何となく、最近の時事的問題にも通ずる話だと思えてなりません。
また新作ができたから聴きに来てよ、と言われています。
僕にオーディオという趣味を与えてくれた親父には、感謝しています。
何しろ足繁くアキバに通っている人なもので。
(ちなみに地下鉄サリン事件の時も同じことを思いました。まさに霞ヶ関駅を利用している官僚だったもので)
幸いそれは杞憂だったわけですが・・・。
僕自身はオタクとはいうものの腐男子なものであまりアキバには立ち寄ることがないのですが、僕の親父は完全にアキバ系です。
とはいうものの、別にメイド喫茶に入り浸っているわけではありません。
「元祖」アキバ系というべきでしょうか、往年のオーディオ小僧なんです。
小学生の頃、今から半世紀以上前にお兄さんに連れられて鉱石ラジオの組み立てキットを買ったというのですから筋金入りです。
手前味噌ながら、今の親父はかなり腕利きの真空管アンプの作り手です。
往年のマランツやマッキントッシュの名器のレプリカも回路図と大昔の雑誌の記事を頼りに製作しちゃいましたし、前の持ち主が作りきれなかったラックスマンの真空管アンプ製作キットを格安で仕入れてきて、短時間で組んでしまったりしています。
最近はネットで回路図を仕入れることを覚え、いろいろな人がチャレンジして苦労している真空管ヘッドフォンアンプを、「一つコツがあるんだよ」と言いながら難なく使えるものに仕上げたりしています。
(ちなみにこれは今僕が愛用しています)
箱も自作するのがすごいところ。
アルミ板を買ってきて、旋盤で加工しています。
そんな人ですから、秋葉原にしょっちゅう真空管やトランスを仕入れに通っています。
金をかけずにいいものを作る、がモットーなので、そんなに高価な物は買ってきませんが、時折ヴィンテージものの国産真空管などを仕入れてきます。
「奮発しちゃったよ」とか言いながら自慢するのが\100の抵抗だったりするところがおかしいところです。
ガード下の、パーツ屋街が親父の「聖地」です。
僕が歩いても何が楽しいのかさっぱり分かりませんが、分かる人には分かるのでしょう。
そんなパーツ屋のおっちゃんの話を親父から聞いたことがあります。
最近はいい歳したおっさんだけでなく、若者の間にもちょっとした自作ブームみたいなものがあり、若い客も来るらしいのですが、彼らはスペック通り、マニュアル通りにしか物が作れないそうなのです。
例えば、マニュアルにあるのとはちょっと仕様が違う、しかしちょっとだけ手を入れれば十分に使える、あるいは無視できるレベルの差違のものが店頭にある場合、彼らは決してそれを手に取ろうとはしないらしいのです。
仮にそれが格安の良品であろうとも、あえて大枚はたいてスペック通りのものを買っていくそうです。
「そういうのを自分で調整するのが自作の醍醐味だと思うんだけどねえ」というのが店主の弁とか。
何となく、最近の時事的問題にも通ずる話だと思えてなりません。
また新作ができたから聴きに来てよ、と言われています。
僕にオーディオという趣味を与えてくれた親父には、感謝しています。
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