【クラシック】コバケン・ワールドVOL.2 ― 2012年09月10日 10時22分
チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲
(アンコール) 千の風になって
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
小林研一郎 指揮・ピアノ
遠藤真理 チェロ
日本フィルハーモニー交響楽団
チャイコフスキーは調べは流麗だけれども、特にどうということはない曲で、コバケンもこれといって仕事をする余地はない感じ。
気持ちが良くなって落ちそうになるのを堪えながら聞いていました。
遠藤真理の独奏は非常に懐が太く、芯のしっかりした音と思い切ったビブラートで、なかなか聴き応えがありました。
予め発表になっている2曲だけではどう考えても演奏会としてボリュームが足りないと思っていたところ、アンコールで「千の風になって」がコバケンのピアノ伴奏つきで演奏されることになり、溜飲を下げました。
こちらもなかなか美しかったです。
ショスタコ5番の、特にフィナーレのコーダには、バーンスタインのような猛スピードで爆走するタイプと、ムラヴィンスキーのような赤軍の示威行進のごとき遅いテンポで押していくタイプと2通りあります。
僕は断然後者を好みますが、前者も実演を耳にしたら興奮することは間違いありません。
一番いけないのが、中庸のテンポでさらりと進むパターン。
しかしながら、今まで何度か実演で聴いたのはいずれもこのパターンで、一度も満足したことがありません。
佐渡裕の演奏は、バーンスタインの弟子と言うことで大いに期待したのですが、意外にもあっさりした演奏でガッカリしました。
ただ、最近は、日本のオケでは特に遅いテンポの演奏は無理なのではないかと思い始めています。
僕の愛聴盤はムラヴィンスキーの1973年来日ライブ盤ですが、こんなふうに金管を吹くには相当な体力が必要なはず。
朝比奈隆がブルックナー5番のフィナーレにおいて、「ここに至るまでに金管奏者が疲れている」として奏者を追加するのも、日本人奏者の体力的非力さ故と言えると思います。
(実際、ヴァント指揮BPOの演奏では特に不足は感じません。ちなみに、朝比奈の実演も聴いたことがありますが、やや金管がうるさい印象を持ちました)
コバケンのアプローチは、大ざっぱに言えばチャイコフスキーの5番と同じ。
遅めのテンポでじっくり歌い込むスタイルです。
第1楽章の冒頭から念を押すような弦の和音から入り、クライマックスの直前では大きく深呼吸をするようにリタルダンドをかけて余裕を持ってオケを響かせていました。
僕にはやや芝居がかっているように思えました。
第2楽章はショスタコお得意の諧謔に満ちた音楽ですが、コバケンの棒ではいかにも剽軽なことをやっているふうに聞こえました。
ムラヴィンスキーの指揮では冷笑・憫笑を思わせる、一筋縄ではいかない音楽となっており、これはムラ様に大きく軍配が上がる結果でした。
第3楽章のラルゴは弦が主体の悲痛な叫び。
コバケンはここでも粘るテンポで、旋律を十二分に歌わせます。
ただ、取りようによっては浪花節のようだと思えなくもなく、この音楽の性格の捉え方次第で好悪が分かれる表現だったように思います。
第4楽章の出だしは遅めのインテンポからアッチェレラントをかけるのが楽譜通りの解釈で、ムラヴィンスキーもそのように振っていますが、コバケンはほとんど加速をかけず遅めの進行。
フルトヴェングラーばりの加速をかけるのではないかと思っていたので、これはちょっと意外でした。
待ちに待ったコーダは、かなり速めの出だし。
これは予想通りバーンスタインのパターンか、と思っていたら、金管の最強奏が始まる手前でリタルダンドをかけて一転してかなり遅いテンポに。
僕が聴いた中では一番遅かったです。
最後の和音の直前で大きな休符を取り、大見得を切るようなフィニッシュでしたが、これは少し芝居っ気が過ぎるような気がしました。
感情過多な嫌いがなきにしもあらずではありましたが、概ね満足しました。
いつもはアンコールに小品を一曲やるところを、精根尽き果てたので今日はご勘弁くださいと言って下がったところに、コバケンの力の入り具合が分かります。
ポピュラー曲だけに演奏頻度は高いですが、一度ムラヴィンスキーのような冷酷無比な演奏を生で聴いてみたいものです。
(アンコール) 千の風になって
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
小林研一郎 指揮・ピアノ
遠藤真理 チェロ
日本フィルハーモニー交響楽団
チャイコフスキーは調べは流麗だけれども、特にどうということはない曲で、コバケンもこれといって仕事をする余地はない感じ。
気持ちが良くなって落ちそうになるのを堪えながら聞いていました。
遠藤真理の独奏は非常に懐が太く、芯のしっかりした音と思い切ったビブラートで、なかなか聴き応えがありました。
予め発表になっている2曲だけではどう考えても演奏会としてボリュームが足りないと思っていたところ、アンコールで「千の風になって」がコバケンのピアノ伴奏つきで演奏されることになり、溜飲を下げました。
こちらもなかなか美しかったです。
ショスタコ5番の、特にフィナーレのコーダには、バーンスタインのような猛スピードで爆走するタイプと、ムラヴィンスキーのような赤軍の示威行進のごとき遅いテンポで押していくタイプと2通りあります。
僕は断然後者を好みますが、前者も実演を耳にしたら興奮することは間違いありません。
一番いけないのが、中庸のテンポでさらりと進むパターン。
しかしながら、今まで何度か実演で聴いたのはいずれもこのパターンで、一度も満足したことがありません。
佐渡裕の演奏は、バーンスタインの弟子と言うことで大いに期待したのですが、意外にもあっさりした演奏でガッカリしました。
ただ、最近は、日本のオケでは特に遅いテンポの演奏は無理なのではないかと思い始めています。
僕の愛聴盤はムラヴィンスキーの1973年来日ライブ盤ですが、こんなふうに金管を吹くには相当な体力が必要なはず。
朝比奈隆がブルックナー5番のフィナーレにおいて、「ここに至るまでに金管奏者が疲れている」として奏者を追加するのも、日本人奏者の体力的非力さ故と言えると思います。
(実際、ヴァント指揮BPOの演奏では特に不足は感じません。ちなみに、朝比奈の実演も聴いたことがありますが、やや金管がうるさい印象を持ちました)
コバケンのアプローチは、大ざっぱに言えばチャイコフスキーの5番と同じ。
遅めのテンポでじっくり歌い込むスタイルです。
第1楽章の冒頭から念を押すような弦の和音から入り、クライマックスの直前では大きく深呼吸をするようにリタルダンドをかけて余裕を持ってオケを響かせていました。
僕にはやや芝居がかっているように思えました。
第2楽章はショスタコお得意の諧謔に満ちた音楽ですが、コバケンの棒ではいかにも剽軽なことをやっているふうに聞こえました。
ムラヴィンスキーの指揮では冷笑・憫笑を思わせる、一筋縄ではいかない音楽となっており、これはムラ様に大きく軍配が上がる結果でした。
第3楽章のラルゴは弦が主体の悲痛な叫び。
コバケンはここでも粘るテンポで、旋律を十二分に歌わせます。
ただ、取りようによっては浪花節のようだと思えなくもなく、この音楽の性格の捉え方次第で好悪が分かれる表現だったように思います。
第4楽章の出だしは遅めのインテンポからアッチェレラントをかけるのが楽譜通りの解釈で、ムラヴィンスキーもそのように振っていますが、コバケンはほとんど加速をかけず遅めの進行。
フルトヴェングラーばりの加速をかけるのではないかと思っていたので、これはちょっと意外でした。
待ちに待ったコーダは、かなり速めの出だし。
これは予想通りバーンスタインのパターンか、と思っていたら、金管の最強奏が始まる手前でリタルダンドをかけて一転してかなり遅いテンポに。
僕が聴いた中では一番遅かったです。
最後の和音の直前で大きな休符を取り、大見得を切るようなフィニッシュでしたが、これは少し芝居っ気が過ぎるような気がしました。
感情過多な嫌いがなきにしもあらずではありましたが、概ね満足しました。
いつもはアンコールに小品を一曲やるところを、精根尽き果てたので今日はご勘弁くださいと言って下がったところに、コバケンの力の入り具合が分かります。
ポピュラー曲だけに演奏頻度は高いですが、一度ムラヴィンスキーのような冷酷無比な演奏を生で聴いてみたいものです。
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