【クラシック】インバル&都響 新マーラー・ツィクルス ツィクルスⅧ@みなとみらいホール ― 2014年03月11日 00時09分
マーラー:交響曲第8番「千人の交響曲」
ソプラノⅠ/澤畑恵美 ソプラノⅡ/大隅智佳子
ソプラノⅢ/森麻季 メゾソプラノⅠ/竹本節子
メゾソプラノⅡ/中島郁子 テノール/福井敬
バリトン/河野克典 バス/久保和範
合唱/晋友会合唱団(指揮/清水敬一)
児童合唱/東京少年少女合唱隊(指揮/長谷川久恵)
指揮/エリアフ・インバル 管弦楽/東京都交響楽団
音楽という形而下的なものを超えた圧倒的な体験であり、今までに聴いた最も感動的な音楽である朝比奈隆と都響によるブルックナー8番を凌駕する、至福の時間でした。
神秘的だったと言ってもいいと思います。
規模はバカでかいですが、インバルの指揮は非常に細部に気を遣っており、最強奏時でも音がダマにならず各パートがきっちり分離して聞こえており、時折顔を出す室内楽的な部分では非常に緻密な響きを導き出していました。
また、金管の最強奏も、音の大きさよりも艶や張りを重視しており、力づくではないけれども強く伸びる音を常に出していました。
テンポの動きは非常に大きかったのですが、その変化が非常に自然であり、その音楽にあるべきテンポ設定であるため、「大きくテンポが揺れている」ということを殊更に感じることはありませんでした。
さながら、F1ドライバーがサーキットでマシンを操るがごとく、といったところでしょうか。
第Ⅰ部のラストは強烈なアッチェレラントから大きくリタルダンドをかけ、大合唱とバンダを含む金管の輝かしい響きをたっぷりとホール全体に満たし、完全に心は現実を離れ陶然とさせられ、涙があふれて止まりませんでした。
(「涼宮ハルヒの憂鬱」TVアニメの最終話で神人が世界を破壊するシーンで使われた音楽です)
ここで完全にイッてしまったので、第Ⅱ部はしばらく賢者タイム。
インバルの理知的かつ雄弁な音楽に酔わされているうちに回復し、そしていよいよ全曲のクライマックス。
神々しい合唱に続き、3階席後方の上手・下手に配されたバンダも含めた大編成の金管群の輝かしい響きが前からも後ろからも聞き手を包みます。
圧倒的な響きの洪水の中で空間的感覚を失い、ただただ呆然と奔流に身をゆだねるのみ。
気がつけばまたしても滂沱の涙を流していました。
都響の演奏を聴くたびにその上手さを褒めていますが、本当に上手い。
ホルンと金管セクションの盤石ぶりには舌を巻くばかり。
ホルン首席の上手さは格別です。
また、ラストのクライマックスでインバルはものすごくテンポを落として和音を引っ張るのですが、よく金管セクションが頑張ったと思います。
フロントローに四方恭子(コンマス)、矢部達也を配し、他の弦のパートも特任首席や首席を揃えており、都響の気合いのほども伺える万全の体勢でした。
晋友会はさすがというべきか、膨大な合唱パートを暗譜で歌いきりました。
児童合唱は真っ白な修道士のマントみたいなものを着ており、ちょっと天使っぽい感じでした。
各独唱も含め、完全にインバルの楽器となっており、素晴らしかったです。
あまりにも規模が大きいため、録音にはその全ては収まりません(5.1chであればいい線はいくかもしれませんが)。
こんな素晴らしい経験を日本にいながらにしてできるとは、本当に幸運です。
貴重な耳の宝をまた一つ増やすことができました。
ソプラノⅠ/澤畑恵美 ソプラノⅡ/大隅智佳子
ソプラノⅢ/森麻季 メゾソプラノⅠ/竹本節子
メゾソプラノⅡ/中島郁子 テノール/福井敬
バリトン/河野克典 バス/久保和範
合唱/晋友会合唱団(指揮/清水敬一)
児童合唱/東京少年少女合唱隊(指揮/長谷川久恵)
指揮/エリアフ・インバル 管弦楽/東京都交響楽団
音楽という形而下的なものを超えた圧倒的な体験であり、今までに聴いた最も感動的な音楽である朝比奈隆と都響によるブルックナー8番を凌駕する、至福の時間でした。
神秘的だったと言ってもいいと思います。
規模はバカでかいですが、インバルの指揮は非常に細部に気を遣っており、最強奏時でも音がダマにならず各パートがきっちり分離して聞こえており、時折顔を出す室内楽的な部分では非常に緻密な響きを導き出していました。
また、金管の最強奏も、音の大きさよりも艶や張りを重視しており、力づくではないけれども強く伸びる音を常に出していました。
テンポの動きは非常に大きかったのですが、その変化が非常に自然であり、その音楽にあるべきテンポ設定であるため、「大きくテンポが揺れている」ということを殊更に感じることはありませんでした。
さながら、F1ドライバーがサーキットでマシンを操るがごとく、といったところでしょうか。
第Ⅰ部のラストは強烈なアッチェレラントから大きくリタルダンドをかけ、大合唱とバンダを含む金管の輝かしい響きをたっぷりとホール全体に満たし、完全に心は現実を離れ陶然とさせられ、涙があふれて止まりませんでした。
(「涼宮ハルヒの憂鬱」TVアニメの最終話で神人が世界を破壊するシーンで使われた音楽です)
ここで完全にイッてしまったので、第Ⅱ部はしばらく賢者タイム。
インバルの理知的かつ雄弁な音楽に酔わされているうちに回復し、そしていよいよ全曲のクライマックス。
神々しい合唱に続き、3階席後方の上手・下手に配されたバンダも含めた大編成の金管群の輝かしい響きが前からも後ろからも聞き手を包みます。
圧倒的な響きの洪水の中で空間的感覚を失い、ただただ呆然と奔流に身をゆだねるのみ。
気がつけばまたしても滂沱の涙を流していました。
都響の演奏を聴くたびにその上手さを褒めていますが、本当に上手い。
ホルンと金管セクションの盤石ぶりには舌を巻くばかり。
ホルン首席の上手さは格別です。
また、ラストのクライマックスでインバルはものすごくテンポを落として和音を引っ張るのですが、よく金管セクションが頑張ったと思います。
フロントローに四方恭子(コンマス)、矢部達也を配し、他の弦のパートも特任首席や首席を揃えており、都響の気合いのほども伺える万全の体勢でした。
晋友会はさすがというべきか、膨大な合唱パートを暗譜で歌いきりました。
児童合唱は真っ白な修道士のマントみたいなものを着ており、ちょっと天使っぽい感じでした。
各独唱も含め、完全にインバルの楽器となっており、素晴らしかったです。
あまりにも規模が大きいため、録音にはその全ては収まりません(5.1chであればいい線はいくかもしれませんが)。
こんな素晴らしい経験を日本にいながらにしてできるとは、本当に幸運です。
貴重な耳の宝をまた一つ増やすことができました。
【クラシック】都響第752回定期公演Aシリーズ ― 2013年05月12日 00時38分
モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」
ブルックナー:交響曲第9番
指揮:エリアフ・インバル
ピアノ;児玉桃
東京都交響楽団
モーツァルトは初聴きでしたが、なかなか可憐で素敵でした。
何より、ここのところ千尋さんのエモーショナルというか、とにかくぶっ叩くピアノばかり聴いていたので、何だか心洗われるような気がしました。
ただ可愛い一辺倒ではなくて、フィナーレではピアノのカデンツァから始まるなど、なかなか一筋縄ではいかないところがモーツァルトらしいところといえるのでしょう。
ブルックナーは圧巻の一言。
生で聴くのは今や伝説と言ってもいいヴァント&北ドイツ放送響の来日公演以来ですが、それに劣らぬ畢竟の名演でした
基本的には遅めのテンポながらも、機械的なインテンポではなく、曲の表情に合わせて作為的にならないよう自然にテンポを操作していました。
細部の彫りも深く、金管やホルンを効果的に鳴らすことはもちろん、低弦や木管についても細かいところまで気を配っており、迫力と繊細さを巧みに両立させていました。
特筆すべきは都響の上手さ。
最後まで力強さが衰えることなく、かつ正確な演奏でインバルの表現を完璧に音にしていました。
最後まで金管が息切れしなかったことにまずブラボーでした。
第一楽章のクライマックスではどこまでも膨らんでいくような素晴らしいクレッシェンドを聴かせてくれましたし、第三楽章の天使のラッパも実に輝かしく、心奪われました。
最大で9本というホルン部隊も分厚い音で強力にインバルをバックアップ。
弦もどんなに強く力奏しても力任せになることなく、またアンサンブルも乱れませんでした。
スケルツォが圧巻だったことは言うまでもありません。
木管は繊細で美しく、厚塗り一辺倒ではない曲の魅力を十二分に引き出していました。
平日にもかかわらず、ホールは5階席まで満席。
さすがにこのプログラムはみな聞き逃せないと思ったようです。
ブルックナー:交響曲第9番
指揮:エリアフ・インバル
ピアノ;児玉桃
東京都交響楽団
モーツァルトは初聴きでしたが、なかなか可憐で素敵でした。
何より、ここのところ千尋さんのエモーショナルというか、とにかくぶっ叩くピアノばかり聴いていたので、何だか心洗われるような気がしました。
ただ可愛い一辺倒ではなくて、フィナーレではピアノのカデンツァから始まるなど、なかなか一筋縄ではいかないところがモーツァルトらしいところといえるのでしょう。
ブルックナーは圧巻の一言。
生で聴くのは今や伝説と言ってもいいヴァント&北ドイツ放送響の来日公演以来ですが、それに劣らぬ畢竟の名演でした
基本的には遅めのテンポながらも、機械的なインテンポではなく、曲の表情に合わせて作為的にならないよう自然にテンポを操作していました。
細部の彫りも深く、金管やホルンを効果的に鳴らすことはもちろん、低弦や木管についても細かいところまで気を配っており、迫力と繊細さを巧みに両立させていました。
特筆すべきは都響の上手さ。
最後まで力強さが衰えることなく、かつ正確な演奏でインバルの表現を完璧に音にしていました。
最後まで金管が息切れしなかったことにまずブラボーでした。
第一楽章のクライマックスではどこまでも膨らんでいくような素晴らしいクレッシェンドを聴かせてくれましたし、第三楽章の天使のラッパも実に輝かしく、心奪われました。
最大で9本というホルン部隊も分厚い音で強力にインバルをバックアップ。
弦もどんなに強く力奏しても力任せになることなく、またアンサンブルも乱れませんでした。
スケルツォが圧巻だったことは言うまでもありません。
木管は繊細で美しく、厚塗り一辺倒ではない曲の魅力を十二分に引き出していました。
平日にもかかわらず、ホールは5階席まで満席。
さすがにこのプログラムはみな聞き逃せないと思ったようです。
【クラシック】群馬県文化基本条例制定記念スペシャルガラコンサート ― 2013年02月11日 23時50分
ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ(☆)
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン(☆)
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(※)
(アンコール 2:30LAG)
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より 「ある晴れた日に」(◆)
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ヴェルディ:歌劇「運命の力」よりレオノーラのアリア「神よ、平和を与えたまえ」(◆)
ラヴェル:ボレロ
加藤知子(ヴァイオリン)☆
山中千尋(ピアノ)※
中嶋彰子(ソプラノ)◆
大友直人指揮 群馬交響楽団
グンマーの民ではないので、条例云々のことはよく分からないのですが、ともかくこんな演奏会が3千円で聴けるのであれば、時間と電車賃をかける価値があるので、はるばる出掛けてきました。
実は群響を舐めていたのですが、なかなかいいオケでした。
上手いし、音もパリッとしていて無理にでかい音を出そうとしておらず、気持ち良く鳴っていました。
派手さはないものの、大友の指揮も巧みにオケをまとめており、好感が持てました。
ヴァイオリンソロの2曲はかなりこってりで僕好み。
とはいえ、変にベタベタした表現ではなく、濃厚に歌いながらも飛ばすべきところはキレが良く、メリハリが良かったです。
ヴァイオリンは、協奏曲みたいな長くていろいろな内容が詰まっている曲よりも、こういうソリストのテクニック一発勝負みたいな気楽な曲の方が、気楽に聴けて好みです。
お目当ての「ラプソディ・イン・ブルー」は期待通りの激演。
スタインウェイが悲鳴を上げるじゃないかと思うぐらいの力奏で、こちらのテンションも鰻登りです。
カデンツァではアドリブが入りまくりで、「これってこんな曲だったっけ?」という場面が続出。
ラヴェルのピアノ協奏曲からのコラージュも入っていたそうで、千尋さんの多才さに唸りました。(そのときはそうとは気付かなかったのですが、確かに聴いたことのあるフレーズが入っているとは思いながら聴いていました)
カデンツァからオケへの受け渡しは、ジャズのセッションのように、千尋さんからのアイコンタクトで行われるというスリリングな展開でした。
オケもなかなか洒落た雰囲気で、やたらと生真面目に演奏していたN響よりはるかに面白かったです。
アンコールは自作のソロで、タイトル通りの小品ながらもものすごいスピードなので、やっぱりテンションが上がりました。
アリア2曲は非常に立派な歌いっぷり。
ただ、立派すぎて、蝶々夫人というよりはブリュンヒルデかなにかではないか?という想いは拭えませんでした。
「運命の力」序曲はかなりキリッとした演奏で、トスカニーニには及ばないにせよ、十分に満足できました。
「ボレロ」も早めのテンポでスムーズに運んでいく演奏で、いささか情緒には乏しかったものの、各首席の独奏も巧みで、十分に満足しました。
最後は土地柄というか、会場全体で「夏の思い出」を合唱して終わり。
このところ息を詰めて聴く演奏会が続いていたので、たまにはこういう緩いのも悪くなかったです。
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ(☆)
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン(☆)
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(※)
(アンコール 2:30LAG)
プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」より 「ある晴れた日に」(◆)
ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
ヴェルディ:歌劇「運命の力」よりレオノーラのアリア「神よ、平和を与えたまえ」(◆)
ラヴェル:ボレロ
加藤知子(ヴァイオリン)☆
山中千尋(ピアノ)※
中嶋彰子(ソプラノ)◆
大友直人指揮 群馬交響楽団
グンマーの民ではないので、条例云々のことはよく分からないのですが、ともかくこんな演奏会が3千円で聴けるのであれば、時間と電車賃をかける価値があるので、はるばる出掛けてきました。
実は群響を舐めていたのですが、なかなかいいオケでした。
上手いし、音もパリッとしていて無理にでかい音を出そうとしておらず、気持ち良く鳴っていました。
派手さはないものの、大友の指揮も巧みにオケをまとめており、好感が持てました。
ヴァイオリンソロの2曲はかなりこってりで僕好み。
とはいえ、変にベタベタした表現ではなく、濃厚に歌いながらも飛ばすべきところはキレが良く、メリハリが良かったです。
ヴァイオリンは、協奏曲みたいな長くていろいろな内容が詰まっている曲よりも、こういうソリストのテクニック一発勝負みたいな気楽な曲の方が、気楽に聴けて好みです。
お目当ての「ラプソディ・イン・ブルー」は期待通りの激演。
スタインウェイが悲鳴を上げるじゃないかと思うぐらいの力奏で、こちらのテンションも鰻登りです。
カデンツァではアドリブが入りまくりで、「これってこんな曲だったっけ?」という場面が続出。
ラヴェルのピアノ協奏曲からのコラージュも入っていたそうで、千尋さんの多才さに唸りました。(そのときはそうとは気付かなかったのですが、確かに聴いたことのあるフレーズが入っているとは思いながら聴いていました)
カデンツァからオケへの受け渡しは、ジャズのセッションのように、千尋さんからのアイコンタクトで行われるというスリリングな展開でした。
オケもなかなか洒落た雰囲気で、やたらと生真面目に演奏していたN響よりはるかに面白かったです。
アンコールは自作のソロで、タイトル通りの小品ながらもものすごいスピードなので、やっぱりテンションが上がりました。
アリア2曲は非常に立派な歌いっぷり。
ただ、立派すぎて、蝶々夫人というよりはブリュンヒルデかなにかではないか?という想いは拭えませんでした。
「運命の力」序曲はかなりキリッとした演奏で、トスカニーニには及ばないにせよ、十分に満足できました。
「ボレロ」も早めのテンポでスムーズに運んでいく演奏で、いささか情緒には乏しかったものの、各首席の独奏も巧みで、十分に満足しました。
最後は土地柄というか、会場全体で「夏の思い出」を合唱して終わり。
このところ息を詰めて聴く演奏会が続いていたので、たまにはこういう緩いのも悪くなかったです。
【クラシック】印象に残る演奏会 ― 2013年01月30日 23時48分
これまでそれなりの回数の演奏会に足を運び、素晴らしかった演奏、ksな演奏といろいろ耳にしてきました。
今までに接した印象的な演奏会を、トホホなものも含めて振り返ってみたいと思います。
一番印象的なのは、やはりヴァント最後の来日公演(オケは手兵北ドイツ放送響)でしょう。
指揮者登場直前の、ホール全体が完全に無音になり、空気そのものが完全に静止した瞬間を、僕は忘れることはないでしょう。
老巨匠の立ち居振る舞いも大変見事で、真の芸術家のオーラとはかくなる物かといたく感心したものです。
演奏も大変素晴らしかったのですが、いかんせんホール(タケミツメモリアル)の空間がドイツの一流オケの大ボリュームを受け止めるには小さく、トゥッティではかなり音の鳴り方が窮屈な局面がありました。
それでも、第一楽章の最後のTrのクレッシェンドには魂をぶっこ抜かれました。
朝比奈隆が都響を振ったブルックナーの8番も忘れられません。
特に第3楽章のアダージョがまさに神の恩寵のごとき素晴らしい響きで、涙を止めることが出来ませんでした。
このときの体験が強烈すぎて、朝比奈の手によるものを筆頭にヴァント・ヨッフム・クナッパーツブッシュと名盤と言われているものを聴いても、録音では満足出来ない身体になってしまいました。
朝比奈というと、新日フィルを振った第九も思い出されます。
一貫してきわめてテンポの遅い演奏で、フルトヴェングラーの表情豊かな演奏を無上のものと思っている身には、立派ではあるものの大変退屈な演奏でした。
しかし、最後の最後、コーダのプレスティッシモのところでちょっとだけテンポが上がり、その瞬間に全身に電気が走るのを感じました。
あまりにも一瞬でしたが、このための遅いテンポだったのか、とも思わせられる、衝撃的な瞬間でした。
小林研一郎は、代名詞のチャイ5がやはり素晴らしいのですが、その他にも名演があります。
来日したハンガリー国立響を振った「幻想交響曲」は、第4・5楽章が本当にキチガイじみていて、手に汗握る激演でした。
一方で、都響を振った「我が祖国」全曲は、情熱だけではなく、オケの巧さを十二分に生かしたコクのある演奏で、ボヘミアの大地が眼前に広がるかのようでした。
上原彩子がチャイコフスキーコンクールで優勝した直後の凱旋公演となった、チャイコフスキーの協奏曲のフィナーレも忘れられません。
出だしからお互い一歩も譲らないテンポでのガチンコ勝負。
コーダではまさにサイドバイサイドといった感じで、まるでF1を観ているかのようなスリルに思わず腰を浮かせたのを憶えています。
あれはトスカニーニ=ホロヴィッツ盤を彷彿とさせる、本当にすさまじい熱演でした。
演奏会ではありませんが、ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場の「メリー・ウイドウ」はめくるめく楽しさで、学生時代に大枚はたいて行った甲斐があった、眼の宝になった舞台です。
大衆演芸といった感じの陽気な舞台で、また是非体験したいと思っています。
指揮者によってオケの音ががらっと変わるというのも、クラシックを聴く醍醐味でしょう。
デュトワがN響を振ってラヴェルの「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」を演奏したときは、N響の音にびっくりしました。
普段は重たい、野暮ったい音のN響が、実にパリッとして瀟洒な音を出しており、まるで別のオケのようでした。
このときの両曲は実に生気に富んでおり、本当に素晴らしかったです。
尾高忠明が日フィルを振ったウォルトン「ペルシャザールの饗宴」も、音楽のすばらしさと同時に、指揮者のオケの統率に感心させられた演奏でした。
日フィルってこんなに巧いオケだったっけ?と耳を疑うほど各パートがミスなく、大編成にもかかわらず響きも透明で、引き込まれました。
ダメな演奏というのも幾度か経験しています。
N響の定期会員だったときに、聞いたこともない風采の上がらない爺さんの指揮者が登壇したことがあり、このときはひどかったです。
前プロの「マイスタージンガー」は、少し前に聞いたワセオケの方が下手だけど元気が良い分まだマシという代物。
メインのブラームス4番に至っては、まるで切れたパンツのゴムみたいに締まりのない演奏で、危うく寝そうになりました。
N響ならもっとマシな指揮者が呼べるだろうに、何か大人の事情があったのかしら、と勘繰りたくなるほどひどい演奏でした。
来日したアバドとベルリンフィルによる、青少年のための夕べと題された第九の演奏会もひどかったです。
NHKホールの3階ということを差し引いても、明らかにやっつけ仕事な演奏で、非常に萎えました。
こんなつまらない演奏会なら聴かない方がマシだと思いながら、帰路についたものです。
ラトルとバーミンガム市響の「エロイカ」も、ベートーヴェンの干物みたいな演奏で、学生時分にせっかく高いチケットを買ったのに、非常にがっかりしました。
こんな経験があるので、基本的に巨匠+海外有名オケの来日公演には懐疑的なのです。
(ヴァントは別格ですが)
今の注目はインバルと都響の組み合わせ。
マーラーもそうですが、ブラームスやショスタコーヴィチも素晴らしかったので、インバルの都響での任期が切れる前に聴けるだけ聴いておくのが吉でしょう。
ブルックナー9番や第九をやってくれるのは実にうれしい限り。
耳の宝になること間違いないのではないかと思っています。
今までに接した印象的な演奏会を、トホホなものも含めて振り返ってみたいと思います。
一番印象的なのは、やはりヴァント最後の来日公演(オケは手兵北ドイツ放送響)でしょう。
指揮者登場直前の、ホール全体が完全に無音になり、空気そのものが完全に静止した瞬間を、僕は忘れることはないでしょう。
老巨匠の立ち居振る舞いも大変見事で、真の芸術家のオーラとはかくなる物かといたく感心したものです。
演奏も大変素晴らしかったのですが、いかんせんホール(タケミツメモリアル)の空間がドイツの一流オケの大ボリュームを受け止めるには小さく、トゥッティではかなり音の鳴り方が窮屈な局面がありました。
それでも、第一楽章の最後のTrのクレッシェンドには魂をぶっこ抜かれました。
朝比奈隆が都響を振ったブルックナーの8番も忘れられません。
特に第3楽章のアダージョがまさに神の恩寵のごとき素晴らしい響きで、涙を止めることが出来ませんでした。
このときの体験が強烈すぎて、朝比奈の手によるものを筆頭にヴァント・ヨッフム・クナッパーツブッシュと名盤と言われているものを聴いても、録音では満足出来ない身体になってしまいました。
朝比奈というと、新日フィルを振った第九も思い出されます。
一貫してきわめてテンポの遅い演奏で、フルトヴェングラーの表情豊かな演奏を無上のものと思っている身には、立派ではあるものの大変退屈な演奏でした。
しかし、最後の最後、コーダのプレスティッシモのところでちょっとだけテンポが上がり、その瞬間に全身に電気が走るのを感じました。
あまりにも一瞬でしたが、このための遅いテンポだったのか、とも思わせられる、衝撃的な瞬間でした。
小林研一郎は、代名詞のチャイ5がやはり素晴らしいのですが、その他にも名演があります。
来日したハンガリー国立響を振った「幻想交響曲」は、第4・5楽章が本当にキチガイじみていて、手に汗握る激演でした。
一方で、都響を振った「我が祖国」全曲は、情熱だけではなく、オケの巧さを十二分に生かしたコクのある演奏で、ボヘミアの大地が眼前に広がるかのようでした。
上原彩子がチャイコフスキーコンクールで優勝した直後の凱旋公演となった、チャイコフスキーの協奏曲のフィナーレも忘れられません。
出だしからお互い一歩も譲らないテンポでのガチンコ勝負。
コーダではまさにサイドバイサイドといった感じで、まるでF1を観ているかのようなスリルに思わず腰を浮かせたのを憶えています。
あれはトスカニーニ=ホロヴィッツ盤を彷彿とさせる、本当にすさまじい熱演でした。
演奏会ではありませんが、ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場の「メリー・ウイドウ」はめくるめく楽しさで、学生時代に大枚はたいて行った甲斐があった、眼の宝になった舞台です。
大衆演芸といった感じの陽気な舞台で、また是非体験したいと思っています。
指揮者によってオケの音ががらっと変わるというのも、クラシックを聴く醍醐味でしょう。
デュトワがN響を振ってラヴェルの「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」を演奏したときは、N響の音にびっくりしました。
普段は重たい、野暮ったい音のN響が、実にパリッとして瀟洒な音を出しており、まるで別のオケのようでした。
このときの両曲は実に生気に富んでおり、本当に素晴らしかったです。
尾高忠明が日フィルを振ったウォルトン「ペルシャザールの饗宴」も、音楽のすばらしさと同時に、指揮者のオケの統率に感心させられた演奏でした。
日フィルってこんなに巧いオケだったっけ?と耳を疑うほど各パートがミスなく、大編成にもかかわらず響きも透明で、引き込まれました。
ダメな演奏というのも幾度か経験しています。
N響の定期会員だったときに、聞いたこともない風采の上がらない爺さんの指揮者が登壇したことがあり、このときはひどかったです。
前プロの「マイスタージンガー」は、少し前に聞いたワセオケの方が下手だけど元気が良い分まだマシという代物。
メインのブラームス4番に至っては、まるで切れたパンツのゴムみたいに締まりのない演奏で、危うく寝そうになりました。
N響ならもっとマシな指揮者が呼べるだろうに、何か大人の事情があったのかしら、と勘繰りたくなるほどひどい演奏でした。
来日したアバドとベルリンフィルによる、青少年のための夕べと題された第九の演奏会もひどかったです。
NHKホールの3階ということを差し引いても、明らかにやっつけ仕事な演奏で、非常に萎えました。
こんなつまらない演奏会なら聴かない方がマシだと思いながら、帰路についたものです。
ラトルとバーミンガム市響の「エロイカ」も、ベートーヴェンの干物みたいな演奏で、学生時分にせっかく高いチケットを買ったのに、非常にがっかりしました。
こんな経験があるので、基本的に巨匠+海外有名オケの来日公演には懐疑的なのです。
(ヴァントは別格ですが)
今の注目はインバルと都響の組み合わせ。
マーラーもそうですが、ブラームスやショスタコーヴィチも素晴らしかったので、インバルの都響での任期が切れる前に聴けるだけ聴いておくのが吉でしょう。
ブルックナー9番や第九をやってくれるのは実にうれしい限り。
耳の宝になること間違いないのではないかと思っています。
【クラシック】インバル=都響 新マーラーツィクルスⅤ ― 2013年01月20日 00時34分
マーラー:「リュッケルトの詩による5つの歌」※
マーラー:交響曲第5番
指揮:エリアフ・インバル メゾソプラノ:イリス・フェルミリオン(※) 管弦楽:東京都交響楽団
前プロは詩情豊かな佳曲。
独唱も表情・声量ともにたっぷりとしており、安心して聴けました。
声楽に関しては、やはり肉体的な条件の違いから、まだ日本人と欧米人では差があるように感じます。
フェルミリオン女史が休憩時間に客席に出てきて関係者と談笑を始め、そのまま僕の近くの席に座ってメインプロの交響曲を聴いていたのにはいささか驚きました。
こういうことは欧米でも普通なのか、日本だからなのかは分かりませんが、自分の出番が終わったからそそくさと帰るのではなくちゃんと聴くということは、それだけマエストロの演奏に価値があるということになるのでしょう。
交響曲の演奏は、いうまでもなく大変素晴らしいものでした。
でもやっぱり、マーラーの言いたいことはよく分かりませんでした。
第一部・第二部・第三部のそれぞれのパートでは、中身は一貫しているし、言っていることは何となく分かるんです。
それが全曲となると、全体として結局何が言いたいのかよく分からなくなってしまうのです。
もっとも、それこそがこの曲の本質なのかもしれません。
インバルのアプローチは、変わらず理性と感情のバランスが取れていましたが、今日はややエモーショナル寄りだったような気がします。
有名なアダージェットは、バーンスタインだと青白い文学青年のラブレターみたいですが、インバルは面と向かって告白をするような、熱い情熱を込めます。
熱っぽい弦と、どこかうつろなハープが得も言われぬ世界を表出させていました。
今日とにかく感じ入ったのは、都響の演奏能力の高さ。
VPOと比較しても遜色ないと思います。
ホルン7・トランペット4・トロンボーン3というアレゲな編成ですが、最強奏でも音が濁る場面は皆無、弱音部の乱れもありません。
特にホルンとトランペットの首席の技量は本当に素晴らしいと思います。
弦も本当に素晴らしかったです。
先日聴いた日フィルがひどかったので、とみにそう感じました。
アンサンブルが揺るがないのはもちろん、音量がしっかりしているので安心して聴いていられます。
大きな音を出すのに汲々としていた日フィルとは大違いです。
全曲のフィナーレは大変盛り上がる箇所で、インバルが飛び上がりながらオケをあおり加速させていくの対し、オケは全く乱れることなく完璧にタクトについていき、音楽は否応なしに白熱。
僕も心底興奮しました。
世界的指揮者のマーラー、しかも土曜日の昼下がりという時間にも関わらず、空席が結構目立ちました。
一方で、倍以上の価格の海外オケが満員だったりする現状もあります。
ジャンルを問わず、日本人は自国の演奏家を正当に評価するべきだと思います。
マーラー:交響曲第5番
指揮:エリアフ・インバル メゾソプラノ:イリス・フェルミリオン(※) 管弦楽:東京都交響楽団
前プロは詩情豊かな佳曲。
独唱も表情・声量ともにたっぷりとしており、安心して聴けました。
声楽に関しては、やはり肉体的な条件の違いから、まだ日本人と欧米人では差があるように感じます。
フェルミリオン女史が休憩時間に客席に出てきて関係者と談笑を始め、そのまま僕の近くの席に座ってメインプロの交響曲を聴いていたのにはいささか驚きました。
こういうことは欧米でも普通なのか、日本だからなのかは分かりませんが、自分の出番が終わったからそそくさと帰るのではなくちゃんと聴くということは、それだけマエストロの演奏に価値があるということになるのでしょう。
交響曲の演奏は、いうまでもなく大変素晴らしいものでした。
でもやっぱり、マーラーの言いたいことはよく分かりませんでした。
第一部・第二部・第三部のそれぞれのパートでは、中身は一貫しているし、言っていることは何となく分かるんです。
それが全曲となると、全体として結局何が言いたいのかよく分からなくなってしまうのです。
もっとも、それこそがこの曲の本質なのかもしれません。
インバルのアプローチは、変わらず理性と感情のバランスが取れていましたが、今日はややエモーショナル寄りだったような気がします。
有名なアダージェットは、バーンスタインだと青白い文学青年のラブレターみたいですが、インバルは面と向かって告白をするような、熱い情熱を込めます。
熱っぽい弦と、どこかうつろなハープが得も言われぬ世界を表出させていました。
今日とにかく感じ入ったのは、都響の演奏能力の高さ。
VPOと比較しても遜色ないと思います。
ホルン7・トランペット4・トロンボーン3というアレゲな編成ですが、最強奏でも音が濁る場面は皆無、弱音部の乱れもありません。
特にホルンとトランペットの首席の技量は本当に素晴らしいと思います。
弦も本当に素晴らしかったです。
先日聴いた日フィルがひどかったので、とみにそう感じました。
アンサンブルが揺るがないのはもちろん、音量がしっかりしているので安心して聴いていられます。
大きな音を出すのに汲々としていた日フィルとは大違いです。
全曲のフィナーレは大変盛り上がる箇所で、インバルが飛び上がりながらオケをあおり加速させていくの対し、オケは全く乱れることなく完璧にタクトについていき、音楽は否応なしに白熱。
僕も心底興奮しました。
世界的指揮者のマーラー、しかも土曜日の昼下がりという時間にも関わらず、空席が結構目立ちました。
一方で、倍以上の価格の海外オケが満員だったりする現状もあります。
ジャンルを問わず、日本人は自国の演奏家を正当に評価するべきだと思います。
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