【クラシック】東京都交響楽団第742回定期演奏会Aシリーズ2012年10月27日 18時34分

ブラームス:交響曲第3番・同第1番

指揮:エリアフ・インバル 東京都交響楽団

よく知っている曲なので1番を中心に語りますが、3番の印象も同じです。

ブラ1の愛聴盤というと、クラシックを聴き始めた頃はミュンシュ指揮のパリ管盤でしたが、今ではフルトヴェングラーの北ドイツ放送響盤になっています。
ミュンシュの分厚い演奏もいいのですが、今となってはブラームスはそんなに熱血漢ではないだろう、という印象が強いです。
また、当時はフルトヴェングラー盤ではDGから出ていた1952年のBPOとのライブ盤しか持っていなかったのですが、遙かに録音のいいNDR盤を聴くにあたり、鞍替えをすることになりました。

フルトヴェングラーのブラームスを一言で表現するならば、圧倒的な緊張感ということになると思います。
これは1番に限らず、全4曲について言えることです。
(4番のフィナーレなんて人間業ではありません)
弦の斉奏とティンパニの連打から始まる有名な序奏からして、息を飲まざるを得ません。

インバルのアプローチは、基本的に緊張感を孕みながらも、ミュンシュ的な熱がほどよく込められたもの。
先日のマーラーでも感じたように、知と情のバランスが良くとれている演奏と言えます。
引き締まった響きを基本として進行するのですが、ここぞというところではグッと熱くなるので、聴いていて非常に気持ちが良かったです。
また、木管を中心に細部にもかなり気を遣っていて、聴いたことのない箇所が随所に表れました。

テンポの変動もかなりあるのですが、ブラームスでも芝居っけに陥る一歩手前で踏みとどまっていました。
オーケストラを操る手腕は大変優れていると思います。

都響の腕もやはり相当なもの。
この日のコンマスは矢部氏で、相変わらずのクールな表情に似合わない大熱演。
いずれも木管が良くないとどうしようもない曲ですが、各パートとも非常に素晴らしかったです。
インバルはホルンが好きなのか、かなり前に出して鳴らしていましたが、難所でも朗々と鳴っていました。

こんな演奏が@7500で聴けるのだから、やはり国内オケの演奏会はお得です。
インバルはもっと早くから注目しておくべき指揮者だったと、今更ながら後悔することしきりです。

【クラシック】インバル=都響新マーラーツィクルスⅠ@みなとみらいホール2012年09月16日 22時30分

マーラー
さすらう若人の歌
交響曲第1番「巨人」

指揮:エリアフ・インバル バリトン:小森輝彦 管弦楽:東京都交響楽団

マーラーが好きか、と訊かれれば、どちらでもない、としか答えようがありません。
派手好きとしては、バカでかい管弦楽は好ましいところなのですが、旋律があるようなないような、構成があるようなないような、統合失調症気味のマーラーの音楽はどうにもとらえどころがなく、嫌いではありませんが好んでは聴きません。

それゆえ、演奏に期待するところは大です。
難解なブルックナーにしても、ヴァントや朝比奈の名演に触れることで開眼した経緯があり、マーラーもとびきりの名演に接することが出来ればその素晴らしさを思い知ることになるのではないかと思っているのです。

この日の演奏は、マーラーの良さを知らしめてくれる、大変な名演でした。

声楽曲についてはよく分からないので、前プロは判断保留。
しかし、独唱の張りがあって輝かしい声の美しさはよく分かりました。

マーラーの交響曲は、元々がこってりしているだけに、あんまりしつこい解釈だとくどくなってしまうし、しかしあんまり客観的だと素材を殺してしまうし、結構アプローチが難しい曲だと思います。
インバルはその辺のさじ加減が実に絶妙でした。

全曲を通じてかなりテンポを揺らしていましたが、芝居っ気に陥る寸前のところでとどめており、劇的効果は抜群でした。
一方で、オケの統率はかなり厳しく取っており、アンサンブルは万全で、弦・木管ともに繊細な表現でした。
また、ハープが非常に効果的で、妙なタイミングでしっかりとした音で鳴るハープがマーラーの分裂気質をよく表していたと思います。

金管の最強奏は、輝かしい音色ながらも音量は抑制されており、力強くも気高さを失っていませんでした。
フィナーレのクライマックスはまさに大天使のラッパのようで、久し振りにオーケストラを聴いて武者震いが出ました。

バーンスタイン(新盤)はほとんど下品一歩手前という感じですが、インバルは交響曲としての構成を組み立てた上で素材の旨味も活かしており、「マーラーもなかなかイカすじゃん」と思わせてくれました。

そして特筆すべきは都響の演奏水準の高さ。
第一バイオリンはフロントローに四方恭子・矢部達哉という日本を代表するバイオリニストを二人並べるという鉄壁の布陣。
響きのカギを握るホルンにせよ、金管にせよアンサンブルや音色に全く不安がなく、インバルの解釈を余すところなく表現していました。
海外の著名オケが素晴らしいのは確かですが、都響は決して引けを取らないと思います。
世界的巨匠と一流オケが組んだマーラーが7500円で聴けるというのは、破格だと思います。

改めてホールの響きの素晴らしさも実感しました。
フィナーレの金管の響きが上から降ってきたのには、心底感動しました。
ホールの良さも、演奏の感動に花を添えたと思います。

こうなると他の曲も聴きたくなるところです。
こうやって、クラシックは一度行くとどツボにはまっていくんですよね。

【クラシック】コバケン・ワールドVOL.22012年09月10日 10時22分

チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲
(アンコール) 千の風になって
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

小林研一郎 指揮・ピアノ
遠藤真理 チェロ
日本フィルハーモニー交響楽団

チャイコフスキーは調べは流麗だけれども、特にどうということはない曲で、コバケンもこれといって仕事をする余地はない感じ。
気持ちが良くなって落ちそうになるのを堪えながら聞いていました。

遠藤真理の独奏は非常に懐が太く、芯のしっかりした音と思い切ったビブラートで、なかなか聴き応えがありました。

予め発表になっている2曲だけではどう考えても演奏会としてボリュームが足りないと思っていたところ、アンコールで「千の風になって」がコバケンのピアノ伴奏つきで演奏されることになり、溜飲を下げました。
こちらもなかなか美しかったです。

ショスタコ5番の、特にフィナーレのコーダには、バーンスタインのような猛スピードで爆走するタイプと、ムラヴィンスキーのような赤軍の示威行進のごとき遅いテンポで押していくタイプと2通りあります。
僕は断然後者を好みますが、前者も実演を耳にしたら興奮することは間違いありません。
一番いけないのが、中庸のテンポでさらりと進むパターン。
しかしながら、今まで何度か実演で聴いたのはいずれもこのパターンで、一度も満足したことがありません。
佐渡裕の演奏は、バーンスタインの弟子と言うことで大いに期待したのですが、意外にもあっさりした演奏でガッカリしました。

ただ、最近は、日本のオケでは特に遅いテンポの演奏は無理なのではないかと思い始めています。
僕の愛聴盤はムラヴィンスキーの1973年来日ライブ盤ですが、こんなふうに金管を吹くには相当な体力が必要なはず。
朝比奈隆がブルックナー5番のフィナーレにおいて、「ここに至るまでに金管奏者が疲れている」として奏者を追加するのも、日本人奏者の体力的非力さ故と言えると思います。
(実際、ヴァント指揮BPOの演奏では特に不足は感じません。ちなみに、朝比奈の実演も聴いたことがありますが、やや金管がうるさい印象を持ちました)

コバケンのアプローチは、大ざっぱに言えばチャイコフスキーの5番と同じ。
遅めのテンポでじっくり歌い込むスタイルです。
第1楽章の冒頭から念を押すような弦の和音から入り、クライマックスの直前では大きく深呼吸をするようにリタルダンドをかけて余裕を持ってオケを響かせていました。
僕にはやや芝居がかっているように思えました。

第2楽章はショスタコお得意の諧謔に満ちた音楽ですが、コバケンの棒ではいかにも剽軽なことをやっているふうに聞こえました。
ムラヴィンスキーの指揮では冷笑・憫笑を思わせる、一筋縄ではいかない音楽となっており、これはムラ様に大きく軍配が上がる結果でした。

第3楽章のラルゴは弦が主体の悲痛な叫び。
コバケンはここでも粘るテンポで、旋律を十二分に歌わせます。
ただ、取りようによっては浪花節のようだと思えなくもなく、この音楽の性格の捉え方次第で好悪が分かれる表現だったように思います。

第4楽章の出だしは遅めのインテンポからアッチェレラントをかけるのが楽譜通りの解釈で、ムラヴィンスキーもそのように振っていますが、コバケンはほとんど加速をかけず遅めの進行。
フルトヴェングラーばりの加速をかけるのではないかと思っていたので、これはちょっと意外でした。
待ちに待ったコーダは、かなり速めの出だし。
これは予想通りバーンスタインのパターンか、と思っていたら、金管の最強奏が始まる手前でリタルダンドをかけて一転してかなり遅いテンポに。
僕が聴いた中では一番遅かったです。
最後の和音の直前で大きな休符を取り、大見得を切るようなフィニッシュでしたが、これは少し芝居っ気が過ぎるような気がしました。

感情過多な嫌いがなきにしもあらずではありましたが、概ね満足しました。
いつもはアンコールに小品を一曲やるところを、精根尽き果てたので今日はご勘弁くださいと言って下がったところに、コバケンの力の入り具合が分かります。

ポピュラー曲だけに演奏頻度は高いですが、一度ムラヴィンスキーのような冷酷無比な演奏を生で聴いてみたいものです。

【クラシック】新日フィル第491回定期演奏会2012年03月15日 23時50分

チャイコフスキー:幻想的序曲「ロメオとジュリエット」
シベリウス:交響曲第7番
ニールセン:交響曲第4番「不滅」
指揮 トーマス・ダウスゴー 新日本フィルハーモニー交響楽団

「フランチェスカ・ダ・リミニ」もそうだけど、チャイコフスキーがファンタジー形式の曲を書くと、どうしてロボットアニメの劇伴みたいな曲になるんだろうと思う。
この曲も「ロメオとジュリエット」というよりは、「ソロモン攻防」とかいうタイトルにしてガンダムの劇伴に使うと、結構しっくり来るんじゃないかと思う。
派手で面白くはあるんだけれども。

シベリウスは、僕が持っているムラヴィンスキー盤だと冬のどんよりとした曇り空といった風情だが、今日の演奏は、晴れ間がのぞいたり雪が降ったりと、変化に富んでいてそこそこ楽しく聴けた。
指揮ぶりからも分かるが、基本陽性の指揮者である。
とはいうものの、あまり面白くない曲であることには変わりなく、花粉症の薬が効いていることもあり、寝ないようにするのが大変だった。

そしてお楽しみの「不滅」だったのだが。
僕が愛聴しているマルティノン&CSO盤は、金管を前面に押し出した表現で、クライマックスは金管とティンパニの饗宴といった趣で、大変聴いていてテンションが上がる演奏である。
それを期待して、演奏日の間際に敢えてチケットを取って出掛けたのだが、完全に当てが外れてがっくり。
あまり金管を表に出さず、むしろ弦を徹底的に歌わせるのがこの指揮者の解釈。
金管は弦の強奏と溶け合う程度に控えめに。
ティンパニも弱め。

うわあ、物足んねえ!とジタバタしながら聴く羽目に。
決してダメな演奏というわけではないが、僕が求める物と指揮者の解釈が真逆だったという悲劇。
やらなくて後悔するよりやって後悔、ではあるものの、久し振りに金と時間の無駄をしたと思わされた演奏会だった。

文の京スペシャルコンサート N響meets小曽根真@文京シビックホール2012年03月11日 09時44分

バッハ:G線上のアリア
ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
指揮:高関健 ピアノ:小曽根真 管弦楽:NHK交響楽団

シビックホールは本当によいホール。
こんなに素晴らしいホールが区役所に併設されているのだから、金のある恵まれた自治体は違うなあ、と思ってしまいます。

N響の演奏を聴くのは久し振り。
改めて、上手いオケだなあ、と思いました。
木管のアンサンブルや金管の最強奏など、非力なオケだと危なっかしくなるポイントを、余裕綽々で弾きこなしていました。
手を抜いているわけでは決してないけれども、常に8割ぐらいの力で弾いている感じで、安心して聴いていられます。

高関は以前日フィルでブルックナーの8番を振ったのを聴きましたが、生真面目な演奏をする人というイメージ。
こういう真面目な指揮者と、真面目なオケが組んだガーシュウィンはどうなんだろう、というのがこの演奏会に足を運ぶことにした動機なのです。

果たして、実に真面目な「ラプソディ・イン・ブルー」でした。
「ラプソディ」はこういう曲だ、というお手本のような演奏、という感じでしょうか。
決して面白くはないけれども、不満もないという優等生的な演奏でした。

小曽根のカデンツァはさすがにスリリング。
「そうくるのか」と思わせられるシーンが随所にあり、興奮しました。
アンコールに演奏された自作のソロ曲「My tomorrow」もリリックな素敵な曲でした。

「新世界より」も極めてドイツ的な、真面目な演奏。
民族色皆無な演奏はあまり面白いとは言えませんが、立派な演奏であり気持ちは良かったです。
小泉和裕なんかもそうですが、カラヤン門下の日本人指揮者は悪くないけど面白くないという印象です。
まあ、カラヤン自体がそうだからなのでしょうが。

久し振りに心地良い響きに身を委ね、満足しました。
やっぱりクラシックは心の栄養です。