【雑記】ら抜き言葉2012年02月25日 09時53分

マイミクさんの日記を見て、たまには真面目な日記でも書こうかと。

「食べれる」「付けれる」など、可能の意味を表す「られる」の「ら」を抜いた表現を「ら抜き言葉」と呼び、間違った日本語の代表格のように扱われます。
確かに日本語の本則からは外れているのですが、これは本当に言いにくいから「ら」が抜け落ちただけの、いわば怠惰な言い換えなのか、というと強ちそうではないのではないか、新たな日本語の法則なのではないか、という考え方もあります。

五段活用動詞を下一段活用動詞に変化させると、可能を表す動詞になります。
この法則を上一段活用や下一段活用にも当てはめたのが「ら抜き言葉」であるというものです。

具体的にはこういうことになります。
「走る」はラ行五段活用の動詞です。
(走ら・ない 走り・ます 走る 走る・とき 走れ・ば 走れ 走ろ・う)
ここから、語尾の「る」を活用させて「走れる」というラ行下一段活用動詞にすると、「走ることができる」といういわゆる可能動詞になります。
(走れ・ない 走れ・ます 走れる 走れる・とき 走れれ・ば 《意味的に命令形は無し》)

一方、「食べる」はバ行下一段活用の動詞です。
(食べ・ない 食べ・ます 食べる 食べる・とき 食べれ・ば 食べろ)
「食べる」を可能動詞にするには、語幹「食べ」に可能の助動詞「られる」を接続するのが本則ですが、これを上記「走る」の例と同様に語尾の「る」を活用させて、ラ行下一段活用動詞に変化させたのが「食べれる」という動詞です。
(食べれ・ない 食べれ・ます 食べれる 食べれる・とき 食べれれ・ば 《意味的に命令形は無し》)

「食べれる」が変則の可能動詞という考え方は、受け身の意味では用いないことからも補強されます。
「今日ライオンはシマウマを食べれた」
とは言いますが、
「今日シマウマはライオンに食べれた」
とは言わず、受け身の場合はきちんと「食べられた」と表現します。

このことから何かの結論を導くつもりはありません。
ただ、個人的には言語には本則があるべきで、放送局などでは本則を厳守すべきだと思います。
一方で慣用的な表現を一括して否定することには賛成しませんが、それでも本則は十分に理解される必要があると思っています。

コメント

_ manicure ― 2017年05月04日 16時45分

I'm not sure why but this web site is loading incredibly slow for me.
Is anyone else having this problem or is it a problem on my end?
I'll check back later and see if the problem still exists.

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://reallifecreation.asablo.jp/blog/2012/02/25/6347574/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。