昨今の食品についての報道について ― 2008年11月20日 00時04分
私は今日は怒っています。
物作りに携わる者は、少なくとも外に向けては「人間は必ずミスをする」と言ってはならない。
ミスをなくすことは物作りの本質の一つであり、殊に消費者の安全に直結する製品を製造している産業においてはそれは事業の根幹でもある。
しかし、億を超える数の製品を作る中で1つのミスも犯さないというのは、現実問題として不可能である。
そのために企業が考えるのが、まずミスによる影響を最小限に食い止めること、そしてその影響の及ぶ範囲を的確に把握することである。
前者と後者は表裏一体である。
どこまで影響が及んでいるのか分からなければ徒に消費者の不安を煽ってしまうが、影響がごく限定的なものであることが分かれば、安心して消費者に製品を消費してもらうことができる。
回収や廃棄する製品を極力減らそうとする企業の論理が皆無だとは言わないが、それは企業として当然もっていなければならない危機管理能力である。
翻って昨今の風潮を見ると、ひとたび何か不具合が発生したら、それがさほど大きな被害をもたらすものではなく、かつ影響もごくごく限定的であったとしても、大々的に公表して関係する製品全てを回収するのを是とする世論がマスコミ主導で醸成されつつある。
これは大変愚かかつ怖ろしい大衆誘導、煽動である。
1つの不良品があったとして、合理的かつ客観的な判断の下に同様の不具合が他にないことが判明すれば、わざわざ消費者の不安を煽るような真似をするバカはいない。
しかしながらマスコミはそれをせよという。
彼らは一体何を考えているのだろう。
マスコミの役割の一端は大衆の啓蒙であるはずだ。
体制に不備があればそれを指摘し、不正があれば正し、然るべき見識を大衆に与えるのがマスコミの使命である。
それなのに、現状は些細なミスをあげつらい、ゴシップに仕立て上げ、大衆の関心を引くと同時に不必要な不安心理を煽っている。
これでは芸能マスコミと同じレベルである。
いや、曲がりなりにも野次馬根性と覗き見根性という大衆の本能的欲求を満たしている彼らよりもずっと性質が悪く俗悪であると言える。
もはや彼らの関心は、自らの発言をいかに飯のタネにするかでしかないのだろう。
だから日本経団連の奥田会長の妄言にも青ざめる羽目になるのだ。
彼らとて飯を食わねばならぬ以上、営利を完全に否定するつもりはないが、部数を伸ばし、CMを集めるのがマスコミの最終目的では断じてない。
そもそも現在問題になっている事件についても、大本の発端はマスコミである例は少なくない。
例えば産地偽装の問題。
産地を偽り、そのことによって不当に利益を得る行為は断じて許すべきではないが、しかし根拠のない「産地信仰」(=○○産の物は美味しい)を根付かせたのは、フードジャーナリズムではなかったか。
どこ産の物であれ、美味しい物が高く売れる環境であれば、産地偽装の問題などそもそも存在しなかったはずである。
自らが醸成した行き過ぎた食のブランド志向についての反省なくして、産地偽装問題を批判することはできないはずなのだが、現在のマスコミはそれには一切眼をつむっている。
本来は大衆の側もマスコミに踊らされないだけのリテラシーを身につけるべきなのだが、残念ながら日本にはなかなかメディア・リテラシーというものが根付かない。
勘ぐりすぎかもしれないが、それも要らぬ知恵を身につけられては困るマスコミの側の策謀かもしれない。
本当に日本のマスコミはゴミレベルの見識しか持っていない。
しかし、「マスゴミ」と呼ぶにしては強大な力を持っている。
その力の使い方を完全に誤っているところが怖ろしいところなのである。
物作りに携わる者は、少なくとも外に向けては「人間は必ずミスをする」と言ってはならない。
ミスをなくすことは物作りの本質の一つであり、殊に消費者の安全に直結する製品を製造している産業においてはそれは事業の根幹でもある。
しかし、億を超える数の製品を作る中で1つのミスも犯さないというのは、現実問題として不可能である。
そのために企業が考えるのが、まずミスによる影響を最小限に食い止めること、そしてその影響の及ぶ範囲を的確に把握することである。
前者と後者は表裏一体である。
どこまで影響が及んでいるのか分からなければ徒に消費者の不安を煽ってしまうが、影響がごく限定的なものであることが分かれば、安心して消費者に製品を消費してもらうことができる。
回収や廃棄する製品を極力減らそうとする企業の論理が皆無だとは言わないが、それは企業として当然もっていなければならない危機管理能力である。
翻って昨今の風潮を見ると、ひとたび何か不具合が発生したら、それがさほど大きな被害をもたらすものではなく、かつ影響もごくごく限定的であったとしても、大々的に公表して関係する製品全てを回収するのを是とする世論がマスコミ主導で醸成されつつある。
これは大変愚かかつ怖ろしい大衆誘導、煽動である。
1つの不良品があったとして、合理的かつ客観的な判断の下に同様の不具合が他にないことが判明すれば、わざわざ消費者の不安を煽るような真似をするバカはいない。
しかしながらマスコミはそれをせよという。
彼らは一体何を考えているのだろう。
マスコミの役割の一端は大衆の啓蒙であるはずだ。
体制に不備があればそれを指摘し、不正があれば正し、然るべき見識を大衆に与えるのがマスコミの使命である。
それなのに、現状は些細なミスをあげつらい、ゴシップに仕立て上げ、大衆の関心を引くと同時に不必要な不安心理を煽っている。
これでは芸能マスコミと同じレベルである。
いや、曲がりなりにも野次馬根性と覗き見根性という大衆の本能的欲求を満たしている彼らよりもずっと性質が悪く俗悪であると言える。
もはや彼らの関心は、自らの発言をいかに飯のタネにするかでしかないのだろう。
だから日本経団連の奥田会長の妄言にも青ざめる羽目になるのだ。
彼らとて飯を食わねばならぬ以上、営利を完全に否定するつもりはないが、部数を伸ばし、CMを集めるのがマスコミの最終目的では断じてない。
そもそも現在問題になっている事件についても、大本の発端はマスコミである例は少なくない。
例えば産地偽装の問題。
産地を偽り、そのことによって不当に利益を得る行為は断じて許すべきではないが、しかし根拠のない「産地信仰」(=○○産の物は美味しい)を根付かせたのは、フードジャーナリズムではなかったか。
どこ産の物であれ、美味しい物が高く売れる環境であれば、産地偽装の問題などそもそも存在しなかったはずである。
自らが醸成した行き過ぎた食のブランド志向についての反省なくして、産地偽装問題を批判することはできないはずなのだが、現在のマスコミはそれには一切眼をつむっている。
本来は大衆の側もマスコミに踊らされないだけのリテラシーを身につけるべきなのだが、残念ながら日本にはなかなかメディア・リテラシーというものが根付かない。
勘ぐりすぎかもしれないが、それも要らぬ知恵を身につけられては困るマスコミの側の策謀かもしれない。
本当に日本のマスコミはゴミレベルの見識しか持っていない。
しかし、「マスゴミ」と呼ぶにしては強大な力を持っている。
その力の使い方を完全に誤っているところが怖ろしいところなのである。
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_ What causes painful Achilles tendon? ― 2017年09月01日 12時53分
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