【雑記】最近読んだ本より2014年04月24日 23時06分

◆吉川英治「三国志」
中一のときに読んで以来の再読。
意外な発見、というかほとんど内容を憶えていなかったことにびっくりでした。
呂布が結構粘るのも、周瑜がイヤなヤツなのも、思ったより曹操が立派に描かれていることも、孔明の南蛮遠征がやたらと長いことも、孔明亡き後のあっけないことも、全部憶えていなくて、初見のようにへえ、と思いながら読んでいました。
それはともかく、この歳になって読んでも、やはり心躍る世界です。
僕の頃は男子中学生必読の書でしたが、今はどうなんでしょうか。
日本人にとってファンタジーとかラノベとかの原点だと思いますし、これからも是非読み継がれて欲しい傑作だと思います。

◆皆川博子「開かせていただき光栄です」
氏の作品を読むたび、傘寿を過ぎてなお旺盛な創作力に驚くばかりです。
本作も18世紀イギリスを舞台にした本格長編ミステリーという実に骨太なジャンルながら、息もつかせぬ展開で一気に読ませます。
「死の泉」や「聖餐城」、「薔薇密室」など、仄暗くてひんやりした雰囲気のヨーロッパを描かせたら日本人作家で右に出る者はいない、と言っても過言ではないと思います。
まだまだ読みたい作家です。

◆ウェブスター(今井麻緒子訳)「あしながおじさん」
小学生の頃児童文庫的なもので読んだ記憶があるのですが、初見のように新鮮な気持ちで読みました。
非常に機知に富んだ文章で、またそれがよく表れた訳で、楽しく読めました。
ただ、ジルーシャの一人語りだけで進む物語の結末がジャービスと結ばれて終わるというのは、いささか納得がいきません。
その点では、ミュージカルは良く出来ていたと思います。

◆佐藤亜紀「ミノタウロス」
佐藤先生(大学4年生のときに講義を取っていたので、どうしても先生と呼ぶのが相応しく思えます)も20世紀前半のヨーロッパを見てきたように書くので、それだけで感心させられます。
先生の文章は読み手の実力を試すほどのハンパではない力を秘めていますが、本作はだいぶ読みやすくなっていると思います。
それでもがっつり集中して読まないと翻弄されてしまいます。
これだけ込み入った物語を一人称で書ききるのは、並大抵の筆力ではありません。
舞台はロシア革命前後のウクライナ、登場人物は男女を問わずみんなごろつきかろくでなし。
その点ではスケールのでかい「アウトレイジ」と言ってもいいかもしれません。
欲望のままに奪い、犯し、殺し、逃げる、その繰り返し。
陰惨この上ない物語なのに、胸の奥底になる薄暗い本能が刺激されるような不思議な快楽があります。
ろくでもない物語の終結に相応しい、呆気ない最後も素晴らしいと思います。
こういう小説は、大人になってからよりも思春期に読んだ方がずっと血肉になると思うのですが、残念ながら最近の子はあまりこういうものは読まないのでしょうね。
骨のあるエンターテイメントを読みたいときには是非お薦めです。

【雑記】書棚の模様はそのままその人の人となり2010年05月19日 21時36分

一人暮らし先から持ち込んだ、社会人になってから購入した書籍を整理するために、ニトリで大きな書棚を購入し、組み立てるところまで流行ったものの、肝心の書籍の整理ができていなかったので、久しぶりに時間ができた今日、時間を掛けてやってみました。

いの一番に並べたのが、現在岩波書店から刊行中の「フロイト全集」。
なかなか時間と精神力が取れず、半分以上読めていません。
症例「ドーラ」や「鼠男」あたりは読んでおきたいのですが・・・。
SALツアーの移動時間を利用して、何とか「トーテムとタブー」を読了したので、その勢いを駆っていきたいところです。

小説では恩田陸がほとんどですね。
それに筒井康隆の新刊。
僕の大学4年生のときの先生でもあった佐藤亜紀『雲雀』はどうにも難解で、今ひとつ内容が理解できなかったのを憶えています。

一時期高橋和巳に傾倒し、著作の大部分を購入したのですが、そのかなりの部分が未読のまま積んであるのが惜しいところです。
読むのにかなり精神力が必要な上、長いので、なかなか踏ん切りが付きません。
『さわやかな朝がゆの味』所収の「失明の階層」や「孤立無援の思想」は、政治的人間でもある僕に大きな感銘を与えてくれました。

満州事変の首謀者、石原完爾の『最終戦争論』も忘れがたい著作です。
とんでも本といえばそうなんですが、戦時中の日本にこうした視点で世界を見うる人物がいたことは非常に興味深いと感じました。

社会人になって少ししてから、田辺聖子の時代物を再読しました。
僕の最初の源氏体験である『新源氏物語』や、素敵なエッセイ『文車日記』、『小倉百人一首』などは、僕の乏しい古典知識の根幹です。

積みになったままの本はたくさんあるんですが、吉本隆明の『共同幻想論』はちゃんと読まないとなあ、と思う一冊。
東浩紀を読んだ後に買ったのか、経緯は憶えていないのですが、必読の一冊だよなあ、と反省しました。

僕の書棚で一番のボリュームを占めているのが、『グイン・サーガ』。
113巻で止まってしまっているので、先に進めないとと思います。

日本橋ヨヲコの作品は、僕にとって特別です。
『極東学園天国』は僕の終生の宝物です。
現在連載中の『少女ファイト』も本当に勇気をくれる作品です。

東京で開かれる西欧絵画の企画展には極力足を運ぶようにしています。
ずいぶんたくさんの図録が集まったのですが、「ウィンスロップ・コレクション(ラファエロ前派)」「プラド美術館展」「ウィーン美術史美術館名品展」「栄光のオランダ・フランドル絵画展」を書棚に収めました。

同人誌はBL、男性向け、創作からバランスよく選びました。
「ギアス(一期)」や「エウレカセブン」のエロ同人誌は、なかなか懐かしかったです。
改めて「アイシールド21」と「ハルヒ」には良い同人誌が多いのを実感しました。

長年継続して読み続けている創作百合サークルの本は、全冊並べました。
商業誌でも書かれている作家さんで、とても素敵なラブストーリーを紡がれるので、コミケの楽しみの一つです。

図らずも大学を出てから今日までの道程をたどったような気分になってしまいました。
じっくり本を読む時間と心の余裕がほしいです。

物語の力2009年06月15日 23時43分

ひたすらグイン・サーガを読み継いでいます。
貪り読んでいる、と言っていい状態だと思います。
こんなに必死になって活字を漁るなんて、何年ぶりでしょう。

久しぶりに「再会」する登場人物たちを、自分でもびっくりするほどよく憶えています。
グインは元より、イシュトヴァーン・マリウス・ヴァレリウス・スカール・カメロン・グラチウス・・・場合によっては10年以上も前に読んだエピソードであっても、つい先日読んだばかりであるかのように鮮明に思い出せます。
104巻にいたって、実に久しぶりに登場する女性がいるのですが、彼女のこともよく憶えていました。

いずれも思春期を共にした「仲間」であり、いわゆる旧友がそういう存在であるように、彼らもまた無沙汰をしても顔を合わせればすぐに馴染みになる、そんな存在です。

久しぶりに、本当に久しぶりに、中学生の頃のように胸を高鳴らせながら本を読んでいます。
続きが待ち遠しくてたまらない、もう寝ないと明日がキツイのが分かっていながら止めることができない、そんな状態です。
大人になってもそんなドキドキを失いたくない、と子供の頃はしかつめらしく思ったりしていましたが、まあ大人になってないだけなんでしょうね。

まだ20巻以上既刊は残っているので、まだまだこのドキドキを楽しむことはできるのですが、作者が亡くなられてしまった以上、ぷっつりと終止符が打たれるときが来ます。
そのとき、物語がどのような展開を迎えているのかは分かりませんが、おそらく大変な喪失感を味わうのでしょう。
考えたくもありません。

いずれにせよ、今はただ、いとも簡単に日常からファンタジーの世界へと連れ去ってくれるこの空前絶後の物語を楽しむばかりです。

一つ問題があるとすれば、読書に歌は邪魔になるので、みのりんも奈々さんもここ数日全く聴いていないことでしょうか。
(その代わりに、メンデルスゾーンやらシューマン、ワーグナーと言ったロマン派の音楽ばかり聴いています)

訃報:栗本薫さん2009年05月27日 23時29分

実は今ちょうど日曜日に放映された『グイン・サーガ』のアニメを見ていたところで、見終わってmixiを開いたらこの訃報・・・。

大ショックです。

『グイン・サーガ』は中二のころから、ですから18年前からリアルタイムで読んでいました。
その当時で何巻ぐらいだったかな。
まだナリスも壮健で、グインがまだケイロニアの百竜長とかそのへんだったように思います。
4年前、社労士受験の際に読書断ちをしたのを機に読むのが途絶えてしまったのですが、もう一回100巻あたりから読み直してみようかと。

でも、できれば1巻から読み返したいなあ。
1月に3冊ずつ読んでも4年近くかかる勘定になりますが、その価値は大いにあります。
何と言っても僕の感性の形成に多大な影響を与えた作品ですから。

氏の作品は、他にも『魔界水滸伝』や『終わりのないラブソング』など、夢中になって読んだ作品が多くあります。
女流の手になるとは思えない骨太な文章と物語に魅了されました。

また、中島梓名義の評論、特に『コミュニケーション不全症候群』や『タナトスの子供たち』など、現実に適応できない女性の深層を抉った論には、大いに蒙を啓かれました。

まだまだお若いので、『グイン』の結末が見られないなんて心配は一度もしたことがありませんでした。
『グイン』は栗本さんが生前おっしゃっていたように、本当にネバーエンディングストーリーになってしまったのですね。
その事実は大いに淋しいのですが、空前にして絶後な物語を読むことができる我々は、幸せ者です。

心よりお悔やみ申し上げます。
お疲れさまでした、そして、ありがとうございました。

阿佐田哲也『黄金の腕』2009年04月26日 01時54分

明日(って日付で言や今日ですね)はマイミクさん宅にお邪魔して麻雀を打つ日。
ここは一発テンションを上げていかねばなるまいと思い、近所の本屋で阿佐田哲也の小説を買ってきました。
(ここで『咲』の原作を買ってこないあたりが、僕がここにいる理由www)

ホントは『麻雀放浪記』が一番テンション上がるんですが、さすがに長いし、実家にあるものをまた買うのも躊躇われたので、本屋にたまたまあった『黄金の腕』を手に取った次第。

短編集でして、タイトルを挙げると

黄金の腕
未完成大三元
北国麻雀急行
国士無双のあがりかた
大三元の家
人生は五十五から
前科十六犯
夢ぼん

とまあ、タイトルからして魅力的。
後半三本は麻雀小説ではないんですが(最後の二本は色川武大名義)、この人は本当に小説が上手いなあ、と舌を巻きました。

何も事件が起こらない話を書くというのは大変な技倆がいります。
やくざものの哀愁を、特に派手なエピソードを交えるでもなく、セピア色の写真のような筆致で描く手腕にはほれぼれとします。

とはいえ、やはり一番ワクワクしたのは「国士無双のあがりかた」。
実話かどうかは分かりませんが、作者とプロ雀士二名が、地方のイベントで対局をしたときの話。
あとのもう一名が、半チャンに二回三回と国士を上がるという触れ込みのシロウトで、作者を含めた三人が、プロの面子にかけて国士を上がらせないようにする、という筋書きです。

「麻雀放浪記」のような火の出るような熱い勝負ではありませんが、麻雀の奥深さをまざまざと見せつけてくれます。
ラスト、作者がイーピンで国士をツモるも・・・というところ、どんでん返しであっと言わせてくれます。

いやあ、イイ感じにハートが温まりましたよ。
僕がのっけから中張牌をベタ切りしだしたら、冷笑してやってくださいwww。