【雑記】音も眼に見える2013年09月25日 00時04分

別にやばい薬をやっているわけではないですし、精神を病んでいるわけでもないつもりですが、素晴らしい音は眼で見ることも出来る気がするのです。

例えば最近の真綾の音楽。
なんというか、キラキラ輝いているのが見えるんです。
ミツバチツアーでのクライマックスなどはその最たるものですし、今行われているアコースティック編成のFCライブの落ち着いた雰囲気の曲でも、歌い手もミュージシャンも音楽の美しさや楽しさにキラキラしています。
そんなキラキラした音楽が生まれる様を見ていると、楽しくなって仕方がありません。
音楽って良いなあ、と心の底から思えます。

山中千尋トリオは激しい閃光に眼が眩むようです。
千尋さんが放つ凄まじい質量とスピードのパッセージをベースとドラムの2人が受け止める、その瞬間には思わず本当に眼を細めてしまいます。
恒星が生まれる際の爆発のごとく、音楽がまさに生まれる際のエネルギーが光となって見えるのかもしれません。
目眩く旋律を生む千尋さんの手元自体にも、火花が散っています。
F1マシンの底部が路面と擦れて散る火花、まさにそれです。

あるいは、こんなものが見えたこともあります。
ギュンター・ヴァント最後の来日公演でのブルックナー9番の、第1楽章の集結部。
まさに眼前にアルプスの峰々のごとく、堅牢な音がそびえ立っていました。
そしてそれはどこまでも膨れ上がり、ついにはタケミツ・メモリアルのあまり大きくない空間いっぱいになってしまい、音が完全には広がりきらなかったのでした。
東京文化会館や東京芸術劇場のようなもっと空間に余裕のあるホールだったら、どこまでも音が膨らんでいったことでしょう。
同じようなことが後日音楽雑誌の演奏評に書いてあったので、あながち妄想でもなかったのでしょう。
本気を出したヨーロッパの一流オケの音のすごさには唖然とするばかりです。

音楽を聴く際にも視覚って重要だな、と思ったりします。