【クラシック】インバル=都響 新マーラーツィクルス第Ⅱ期 交響曲第6番「悲劇的」2013年11月04日 21時20分

指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団

やはりマーラーはブルックナーと同様に、優れた実演を聴かないとその真価は分からないということを改めて痛感させられる名演でした。
僕のような半可通にマーラーの何たるかが分かるわけもありませんが、この演奏を聴くことによってマーラーの音楽の骨格を理解することができたような気がします。

楽理的なことはよく分かりませんが、僕なりの言い方をするならば、マーラーの音楽は断片的で様々なテーマが出ては消え、あるいはしばらくして戻ってきたりして支離滅裂に一見感じられるけれども、実は独特の論理あるいは感性によって実は有機的に結合されているのだと思います。
独特の論理あるいは感性が具体的に何に所以するものかは僕には分かりません。
ユダヤ人演奏家がマーラーを得意とするところからして、もしかしたらユダヤ人に特有の感覚なのかもしれません。

そう考えるとフルトヴェングラーやカラヤンがマーラーを得意としなかったことにも納得がいきます。
どちらも作曲家独自の論理やら感性といったものは斟酌しない、あるいはするつもりがない指揮者ですから、マーラーの音楽をまともに再現できなくても不思議はありません。

その点、インバルの演奏は実に巧みにマーラーの音楽を音楽として分かりやすく聴衆の前に開陳してくれます。
面妖・不可解な様々なフレーズの落ち着かなさはそのままに、一つのまとまりのある作品としてきちんと構成されるので、僕のようなよく分からない人間でも「ああ、マーラーの交響曲を聴いた」という実感を持つことができます。

そして、特筆したいのは都響の上手さ。
マーラーツィクルスの日記を書くたびに強調していますが、やはりここでも強調せざるを得ません。
主な木管楽器は4本ずつ、ホルン8・トランペット6・トロンボーン4に多数の打楽器という変態編成の曲は、オケが上手くなければまずお話になりません。
(これだけの大編成であることも、CDではさっぱり良さが分からない原因の一つでしょう)
技巧的なパッセージのホルンソロが頻出しますが、首席は完璧に吹ききりましたし、金管群も最後はかなり体力的にきつくなりそうな展開でしたが、全く揺るぎませんでした。
目眩く音の饗宴という意味でも、十二分に楽しませてもらいました。

有名なハンマーに関しては、音の効果というよりは、どう考えても実演の際の視覚的効果を狙ったものとしか思えません。
打楽器奏者がでかい木のハンマーを振りおろす様子は、見ていて単純に滾ります。
打楽器奏者3人が同時にシンバルを最強打するシーンも萌えましたね。

とにもかくにも、東京にいながらにして、しかもすこぶる安価で(セット券ならS席の単価が@6000)こんな名演を生で聴くことができる、という幸せに感謝せざるを得ません。
残り3曲も大変楽しみです。