こんな夢を見た2009年09月15日 01時24分

こんな夢を見た。

其の日は茅原実里孃の催しが在る日であつた。
何を記念した、どのやうな催しであつたかは判然としない。兎に角、握手会や署名会のやうな茅原孃と直接相對することができる催し物であつた事は確かである。

此の催しは茅原孃と相對する時の趣向が変わつて居り、一人ずつ個室に通されそちらにて対面するのである。
自分の番が回つてきて、誘(いざな)われる儘に室内に入ると、果たして常と変わらず可憐な茅原孃の姿がそこに在つた。

相手が茅原孃に限らず、直に顔を突き合わせる類の催しでは、いざとなると臆病風に吹かれて、瘧(おこり)病みのやうに四肢が震え、吃(ども)りのやうに言葉が喉に支(つか)えて、結局毒にも薬にもならぬ時候の挨拶などをして仕舞いになつてしまうのが倣(なら)ひであつた。
然し、この時ばかりは、母親が「お前はきっと口から生まれたに相違ない」と言う口舌も滑らかに、不可思議な程に会話が弾むのであつた。茅原孃の花の容(かんばせ)も殊更に綻ぶ。

夢のやうな時間は儚く過ぎ去り、退出すべき時が来る。丁重に礼を述べ、身を翻そうとした刹那、茅原孃の手が肩に掛かる。
訝しみつつ亦(また)正面に向き直ると、茅原孃は少し背伸びをしてあらうことか接吻をした。頬にではない、口唇(くちびる)にである。一度ならず二度、三度、戯れるやうに柔らかい紅唇が予の口唇を啄(ついば)む。

その柔らかきこと喩えやうもなく、魂が吸ひ取られる心地である。何も言へず唯惚けて居ると、茅原孃が小さく手を振り本当に仕舞いであることを告げる。

心ここに在らず、会場を出て道を歩くも夢か現か判らぬ儘、足許は定まらない。やうやう新宿停車場(ステイション)まで辿り着くも、歩く力が脚から抜け、地下街でへたり込んでしまつた。



















コイツ、マジきめえ( ´;゚;ё;゚;)
(突っ込まれる前にセルフツッコミ)

コメント

_ manicure ― 2017年05月05日 00時39分

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